新規事業開発を加速する組織デザイン:デザイン思考を用いた構造とプロセスの改善実践
はじめに
新規事業開発においては、プロダクトやサービスそのもののデザインに加え、それを生み出す「組織」のデザインもまた、成功の鍵を握ります。 VUCA時代において、市場や技術は急速に変化し、既存の組織構造やプロセスでは変化への対応が遅れ、イノベーションの停滞を招く可能性があります。このような背景から、新規事業開発を担う組織自体が、常に学び、適応し、進化し続けるメカニズムを持つことが求められています。
デザイン思考は、未知の課題に対し、人間中心のアプローチで創造的な解決策を生み出すためのフレームワークとして広く認知されています。このデザイン思考のアプローチを、プロダクトやサービスの開発に留まらず、「組織」という複雑なシステムそのものに適用することで、新規事業開発の推進力を高めることが期待できます。
本稿では、新規事業開発組織が直面する典型的な課題を特定し、それらの課題解決に向けてデザイン思考の各フェーズ(共感、定義、アイデア、プロトタイプ、テスト)をどのように応用できるかを具体的に解説します。組織構造、コミュニケーション、意思決定プロセスなどの改善を通じて、より効果的かつ持続的に新規事業を創出するための実践的な示唆を提供します。
なぜ新規事業開発組織にデザイン思考が必要なのか
新規事業開発は、本質的に高い不確実性を伴います。成功への道筋は明確ではなく、仮説の検証と修正を繰り返しながら進める必要があります。このような環境下では、硬直したヒエラルキーや、縦割り組織による部門間のサイロ化、非効率な意思決定プロセスなどが、迅速な実験や学習を阻害する要因となります。
デザイン思考は、本来、ユーザーの深い理解から出発し、課題を再定義し、多様なアイデアを創出し、素早いプロトタイピングと検証を通じて解の精度を高めるプロセスです。このプロセスを組織運営に適用することで、以下のようなメリットが考えられます。
- 適応力の向上: 変化する環境や予期せぬ課題に対して、組織全体が柔軟に対応できる能力が高まります。
- 学習サイクルの加速: 失敗を恐れずに新しい試みを行い、その結果から学びを得る文化が醸成され、組織としての学習速度が向上します。
- 従業員エンゲージメントの向上: 組織デザインのプロセスにメンバーが主体的に関わることで、当事者意識が高まり、組織への貢献意欲が増します。
- イノベーションの創出促進: 多様な視点を取り入れ、既成概念にとらわれない組織構造やプロセスを設計することで、新しいアイデアやアプローチが生まれやすくなります。
組織自体を、変化し続けるユーザーニーズ(この場合、組織内のメンバーや外部ステークホルダーのニーズ)に応えるための「サービス」や「プロダクト」として捉え、デザイン思考のアプローチで改善していくことが、新規事業開発の持続的な成功には不可欠です。
組織デザインへのデザイン思考の応用プロセス
デザイン思考の一般的な5つのフェーズを、新規事業開発組織の設計・改善にどのように応用できるかを見ていきます。
フェーズ1: 共感(Empathize) - 組織内部の課題とニーズの理解
このフェーズでは、組織内で働く人々(開発者、デザイナー、マーケター、マネージャー、経営層など)や、組織と関わる外部ステークホルダー(パートナー企業、顧客、投資家など)の視点に立ち、彼らが組織に対して抱える課題、フラストレーション、潜在的なニーズを深く理解することを目指します。
- 実践アプローチ:
- 従業員インタビュー: 異なる役割や経験を持つ従業員に対して、日々の業務における課題、コミュニケーションの障壁、意思決定プロセスのボトルネックなどについて深く聞く。
- 観察: 会議や共同作業の様子を観察し、非公式なコミュニケーションパターンや、特定のプロセスで発生している摩擦を把握する。
- ジャーニーマップ: 従業員や特定のチームの「組織内での体験ジャーニー」を作成し、各タッチポイントでの感情や課題を可視化する。
- サーベイ/ワークショップ: 組織全体の共通課題や、部署間の連携における課題などを定量・定性的に収集するためのサーベイや、共感のためのワークショップを実施する。
この段階では、「正しい」答えを見つけることよりも、多様な視点から組織の現状に対する深い洞察を得ることが重要です。
フェーズ2: 定義(Define) - 解決すべき組織課題の明確化
共感フェーズで収集した情報を分析し、組織として真に解決すべき中核的な課題を明確に定義します。この課題定義は、後のアイデア創出の方向性を定める羅針盤となります。単なる症状ではなく、その根源にある問題に焦点を当てることが重要です。
- 実践アプローチ:
- 情報の整理と分類: インタビュー記録、観察ノート、サーベイ結果などをグループ化し、共通するテーマやパターンを見つけ出す。
- インサイトの抽出: 収集した生データから、人々がなぜ特定の行動をとるのか、何に価値を感じるのかといった深い洞察(インサイト)を引き出す。
- 課題の言語化: 「〇〇は、△△なので、□□することに課題を感じている」といった、「誰が」「何を」「なぜそう感じるのか」を含む形式で、ペルソナ(特定の役割やチーム)ごとの課題ステートメントを作成する。
- 「How Might We」(どうすれば〜できるか)クエスチョンの設定: 定義された課題を、創造的なアイデアを引き出すための問いの形に変換する(例: 「どうすれば、部署間の情報共有をスムーズにし、連携を強化できるだろうか?」)。
課題定義が曖昧だと、その後のアイデアも表層的なものに留まりやすいため、このフェーズは丁寧に進める必要があります。
フェーズ3: アイデア(Ideate) - 組織構造・プロセス改善のアイデア創出
定義された課題に対して、既成概念にとらわれない多様な解決策のアイデアをできるだけ多く生み出します。組織構造、役割分担、コミュニケーションツール、会議体、意思決定ルール、評価システムなど、組織を構成するあらゆる要素をアイデアの対象とすることができます。
- 実践アプローチ:
- ブレインストーミング: 定義された課題やHMWクエスチョンに対し、参加者が自由にアイデアを出し合う(批判禁止、量重視、多様なアイデア歓迎、アイデアの組み合わせ・発展)。
- ワールド・カフェ/フィッシュボウル: 少人数での対話や、中心グループと外周グループでの視点の交換を通じて、深い議論とアイデアの洗練を行う。
- 類推思考: 他社(特に異業界)の組織構造や成功事例、自然界のシステムなどを参考に、自社組織への応用可能性を探る。
- SCAMPER: 既存の組織要素(役割、プロセス、ツールなど)に対し、Substitute(置き換え)、Combine(組み合わせ)、Adapt(応用)、Modify(修正)、Put to another use(別の用途に使う)、Eliminate(排除)、Reverse/Rearrange(逆転/再編成)といった視点からアイデアを強制的に発想する。
このフェーズでは、非現実的に思えるアイデアも含め、幅広く多様な選択肢を生み出すことが重要です。
フェーズ4: プロトタイプ(Prototype) - 新しい組織構造・プロセスの試行
アイデアの中から有望なものを選択し、実際に試せる形に落とし込みます。組織デザインにおけるプロトタイプは、物理的な製品プロトタイプとは異なり、新しい会議体のルール、特定のプロジェクトでの一時的なチーム構成、新しい情報共有ツールの試験導入、簡易的な意思決定フローなどが該当します。目的は、最小限のコストとリスクでアイデアを検証し、フィードバックを得ることです。
- 実践アプローチ:
- ロールプレイング/シミュレーション: 新しい会議体や意思決定プロセスを、実際の参加者で試行し、その感触や課題を把握する。
- スモールスケールでの導入: 特定のチームやプロジェクトに限定して、新しいコミュニケーションツールやワークフローを試験的に導入する。
- モックアップ/ストーリーボード: 新しい組織構造やプロセスによって、メンバーの体験や情報の流れがどのように変わるかを、図やストーリーボードで視覚的に表現する。
- ポリシーやガイドラインのドラフト: 新しい役割分担や意思決定ルールなどを簡易的なドキュメントとして作成し、関係者に共有してフィードバックを募る。
プロトタイプは完璧である必要はありません。早期に実行し、そこから学ぶことが目的です。
フェーズ5: テスト(Test) - 試行結果の評価と改善
プロトタイプを実際の組織環境や、シミュレーション環境で試行し、その結果を評価します。新しい構造やプロセスが、当初定義した課題をどの程度解決できているか、予期せぬ問題は発生していないかなどを、参加者や関係者からのフィードバックを通じて検証します。
- 実践アプローチ:
- 効果測定: 新しいプロセス導入前後で、会議時間、情報共有頻度、意思決定スピード、メンバーの満足度などの指標を測定・比較する。
- フィードバックセッション: プロトタイプを体験したメンバーや関係者を集め、率直な意見や改善提案を収集する。
- 観察とヒアリング: プロトタイプ実施中の様子を観察したり、個別にヒアリングを行ったりして、定性的な情報を得る。
- ユーザーテスト(組織メンバー視点): 組織内部の「ユーザー」であるメンバーが、新しい仕組みをどのように使用し、どのような体験をしているかを詳細に調査する。
テストで得られたフィードバックを基に、組織デザインのアイデアやプロトタイプを修正・改善し、必要であればデザイン思考のプロセスを繰り返します。これは、組織デザインが一度行えば完了するものではなく、継続的な改善のサイクルであることを示唆しています。
実践上の課題と克服方法
組織デザインにデザイン思考を適用する際には、いくつかの課題に直面する可能性があります。
- 既存文化との摩擦: 変化に対する抵抗感や、既存の価値観との衝突が生じることがあります。これには、プロセスへの関係者の巻き込み、透明性の確保、変化の必要性に関する丁寧な対話が不可欠です。
- 効果測定の難しさ: 組織構造やプロセス改善の効果を定量的に示すことは容易ではありません。定性的なフィードバックに加え、特定のKPI(例: チーム間の連携頻度、意思決定にかかる時間、プロジェクト完了までのサイクルタイムなど)を設定し、変化をトラッキングする工夫が求められます。
- 経営層の理解とコミットメント: 組織全体の変革には、経営層の理解と強いリーダーシップによるサポートが不可欠です。デザイン思考を用いた組織課題の特定とその解決策が、事業戦略や組織目標にどのように貢献するのかを明確に伝え、共感を醸成する必要があります。
- 継続性の確保: 一度組織デザインを行っても、環境の変化に合わせて組織は進化し続ける必要があります。デザイン思考を組織文化の一部として定着させ、継続的な組織学習と改善のメカニズムを組み込むことが重要です。
これらの課題に対し、デザイン思考の核となる「人間中心」「プロトタイピングとテストを通じた学習」「協働」といった要素を組織デザインのプロセス自体に組み込むことで、乗り越えるための糸口を見出すことができます。
結論
新規事業開発の成功は、優れたアイデアや技術だけでなく、それを実行する組織の能力に大きく依存します。デザイン思考のアプローチを組織デザインに適用することは、新規事業開発組織が直面する複雑な課題に対し、人間中心で創造的かつ実践的な解決策を見出す強力な手段となります。
共感から始まり、課題を定義し、多様なアイデアを生み出し、小さく試して学ぶというデザイン思考のサイクルは、硬直性を打破し、適応力と学習能力の高い組織を構築するための有効なフレームワークです。これにより、新規事業開発のプロセス自体がより効率的、効果的になり、市場の変化に迅速に対応できる組織へと進化することができます。
組織デザインは一度のプロジェクトではなく、継続的な取り組みです。デザイン思考を組織文化の一部として根付かせ、組織自体が自己をデザインし続ける能力を持つことこそが、不確実性の高い現代において新規事業を持続的に生み出し続けるための重要な戦略となるでしょう。本稿が、貴社の新規事業開発組織の改善に向けた実践的なヒントとなれば幸いです。