新規事業におけるデザイン思考とブランディングの連携:顧客体験とブランド価値の統合戦略
新規事業開発におけるデザイン思考とブランディング連携の重要性
新規事業開発においては、単に新しい製品やサービスを市場に投入するだけでなく、顧客の心に響き、継続的な関係性を構築できる強力なブランドを同時に築き上げることが不可欠です。ブランドは、顧客にとっての価値提案を伝え、競合との差別化を図り、長期的な事業成長を支える重要な資産となります。
一方で、デザイン思考は、ユーザー中心のアプローチを通じて未知の課題を発見し、創造的な解決策を生み出すためのフレームワークです。ユーザーへの共感から始まり、課題定義、アイデア発想、プロトタイピング、テストを繰り返すプロセスは、顧客の深い理解に基づいた価値創造を可能にします。
この二つの概念、デザイン思考とブランディングは、一見異なる領域のように見えますが、新規事業においては密接に連携させることで、より強固で顧客に支持される事業を構築することができます。デザイン思考のプロセスを通じて得られる顧客インサイトは、ブランドの核となる価値提案やパーソナリティを形成するための重要な基盤となります。本記事では、新規事業開発の文脈で、デザイン思考をどのようにブランディングと連携させ、顧客体験とブランド価値の統合を実現するかについて考察します。
デザイン思考の各フェーズにおけるブランディングへの貢献
デザイン思考のプロセスは、新規事業のブランディングを構築・強化する上で多岐にわたる貢献をします。各フェーズでの具体的な活用方法を以下に示します。
1. 共感(Empathize)フェーズ
このフェーズは、顧客やユーザー、そして潜在的なステークホルダーの視点を深く理解することに重点を置きます。顧客インタビュー、観察、エスノグラフィーリサーチなどを通じて、彼らのニーズ、願望、痛み、行動、コンテキストを深く掘り下げます。
ブランディングの観点からは、このフェーズはブランドのターゲット顧客を明確にし、彼らのライフスタイルや価値観に寄り添うブランドパーソナリティやトーン・アンド・ボイスを定義するための出発点となります。顧客の「語られないニーズ」や「隠れたインサイト」を捉えることは、単なる機能的な価値だけでなく、情緒的な価値や自己表現に関わるブランドの要素を特定する上で不可欠です。例えば、顧客が既存のサービスに対して抱える不満の根源を深く理解することで、その不満を解消するだけでなく、顧客の抱く理想像に寄り添うブランド体験を設計するための示唆を得ることができます。
2. 定義(Define)フェーズ
共感フェーズで得られた膨大な情報を整理・分析し、真に解決すべき課題や機会を明確に定義します。ペルソナ、カスタマージャーニーマップ、POV(Point of View)ステートメントなどのツールが活用されます。
ブランディングにおいては、このフェーズで定義される課題や機会が、新規事業の提供するユニークな価値提案(Unique Value Proposition: UVP)の核となります。ペルソナは、ブランドが誰に向けて語りかけ、どのような関係性を築きたいかを具体化するのに役立ちます。カスタマージャーニーマップは、顧客がブランドと接するあらゆるタッチポイントを可視化し、それぞれの段階でどのようなブランド体験を提供すべきかを設計するための基盤となります。定義された課題は、「私たちは〇〇なユーザーのために、△△することで、□□という課題を解決します」といった形でブランドのミッションや存在意義につながる可能性があります。
3. 発想(Ideate)フェーズ
定義された課題に対して、多様なアイデアを自由に、量産的に生み出すフェーズです。ブレインストーミング、KJ法、SCAMPERなどの手法が用いられます。
ブランディングの観点からは、このフェーズはブランドの個性や創造性を探求する機会となります。単に製品やサービスのアイデアだけでなく、ブランド名、ロゴデザイン、コミュニケーションメッセージ、プロモーション戦略、顧客エンゲージメントの方法など、ブランドを構成するあらゆる要素に関するアイデアを発想します。顧客インサイトに基づいた多様なアイデアを生み出すことで、既存の枠にとらわれない、新鮮で魅力的なブランドコンセプトが生まれる可能性があります。ワークショップ形式でチームメンバーや外部ステークホルダーが多様な視点からアイデアを出し合うことは、ブランドに対する多様な解釈や可能性を探る上で有効です。
4. プロトタイプ(Prototype)フェーズ
発想されたアイデアの中から有望なものを選択し、素早く形にしてみるフェーズです。具体的な製品モックアップだけでなく、サービスのシナリオ、ウェブサイトのワイヤーフレーム、広告のラフ、店舗デザインのスケッチなど、様々な形式が考えられます。
ブランディングにおいては、このフェーズは「ブランド体験のプロトタイピング」を行う機会と捉えることができます。単なる機能プロトタイプではなく、顧客がブランドとどのように相互作用するか、どのような感情を抱くかといった体験全体を設計し、簡易的に表現します。例えば、ウェブサイトのプロトタイプを通じてブランドのトーン・アンド・ボイスが適切に表現されているか、カスタマーサポートのシナリオを通じてブランドの姿勢が伝わるかなどを検証します。これにより、机上の空論ではない、実際に顧客が「感じる」ブランド体験をデザインし、早期に検証することが可能になります。
5. テスト(Test)フェーズ
プロトタイプを実際のユーザーに試してもらい、フィードバックを収集するフェーズです。ここでの目的は、アイデアがユーザーの課題を解決するか、期待に応えるかを確認することに加え、「プロトタイプされたブランド体験」が意図した通りに顧客に伝わるか、どのような感情やイメージを抱くかといった点を評価することにもあります。
ブランディングの観点からは、ユーザーからのフィードバックを通じて、ブランドのメッセージが正しく伝わっているか、ブランドパーソナリティに共感を得られるか、提供しようとしているブランド体験が顧客の期待やニーズに合致しているかなどを検証します。例えば、プロトタイプの利用を通じて顧客が抱いたイメージや言葉遣いを分析することで、ブランドのポジショニングやコミュニケーション戦略が適切かを判断する材料を得ます。テスト結果に基づいて、ブランドの要素や提供する体験を繰り返し改善していくことで、より顧客に響く強力なブランドへと磨き上げていくことができます。
顧客体験(CX)とブランド体験(BX)の統合
新規事業におけるブランディングの成功は、提供する顧客体験(Customer Experience: CX)とブランド体験(Brand Experience: BX)がいかに統合されているかに大きく依存します。CXは顧客が製品やサービスと関わるあらゆる接点での経験全体を指し、BXはそれらの経験を通じて顧客がブランドに対して抱く感情、イメージ、連想などを指します。
デザイン思考は、本質的に顧客中心のアプローチであるため、優れたCXを設計するための強力なツールです。そして、意図されたBXは、その優れたCXを通じて顧客の中に自然と醸成されるべきものです。デザイン思考のプロセスで作成されるカスタマージャーニーマップは、CXのあらゆるタッチポイントを特定・設計するために使用されますが、同時にそれぞれのタッチポイントでどのようなブランドパーソナリティを表現し、どのようなブランドメッセージを伝え、顧客にどのような感情を抱いてほしいかといったBXの要素を盛り込むことが重要です。
例えば、新規のオンラインサービスにおいて、オンボーディングプロセス(CXの一部)をデザインする際に、単にユーザーを効率的にサービスに慣れさせるだけでなく、「フレンドリーで親しみやすい」「専門的で信頼できる」「革新的でワクワクする」といったブランドの個性を反映させるデザイン(UI/UXデザイン、コピーライティング、コミュニケーションスタイルなど)を意図的に組み込むことで、統合されたCX/BXが実現されます。デザイン思考の反復プロセスを通じて、これらのCX/BX要素をプロトタイプし、ユーザーテストで検証・改善することで、顧客にとって記憶に残り、心に響くブランド体験を創造することが可能になります。
組織内での連携推進と課題
デザイン思考とブランディングの連携を新規事業開発において成功させるためには、組織内の体制と文化が重要です。製品開発チーム、マーケティングチーム、カスタマーサポートチームなどがサイロ化している場合、顧客体験とブランド体験の一貫性を保つことが難しくなります。
デザイン思考は、本来クロスファンクショナルなチームでの実践を推奨するものです。新規事業開発チームにブランド戦略の担当者を含めたり、定期的な合同ワークショップを実施したりすることで、デザイン思考のプロセスにブランディングの視点を早期から組み込むことができます。 共通の目標設定(例:「顧客に〇〇と感じてもらえる体験を創出する」)や、共通の言語(例:作成したペルソナやカスタマージャーニーマップ、ブランドガイドラインなどをチーム間で共有し活用する)を持つことも、連携を深める上で有効です。
組織的な課題としては、短期的な機能開発の目標と、長期的なブランド価値構築の目標との間で優先順位のコンフリクトが発生する可能性があります。また、デザイン思考の実験的なアプローチと、ブランドの一貫性を重視する従来のブランディング手法との間で、考え方の違いが生じることもあります。これらの課題を乗り越えるためには、リーダーシップがデザイン思考とブランディングの統合の重要性を繰り返し伝え、チーム間の対話と相互理解を促進することが不可欠です。共通の成功指標として、製品・サービスの利用状況だけでなく、ブランド認知度、ブランド好感度、顧客ロイヤリティなどの指標を設定することも、統合的なアプローチを推進する上で役立ちます。
結論
新規事業開発におけるデザイン思考とブランディングの連携は、単なる製品・サービスの提供にとどまらない、顧客に深く響き、長期的な関係性を構築するための強力なアプローチです。デザイン思考の顧客中心かつ反復的なプロセスは、ブランドの核となる価値提案の発見から、顧客体験を通じたブランド価値の醸成、そしてその検証と改善に至るまで、ブランディングのあらゆる側面に貢献します。
顧客体験(CX)とブランド体験(BX)を不可分なものとして捉え、デザイン思考のツールや手法を用いて統合的に設計・検証することは、今日の競争環境において差別化された強力なブランドを築き上げる上で不可欠です。組織内の壁を取り払い、クロスファンクショナルなチームでデザイン思考とブランディングの実践を連携させることで、顧客にとって真に価値のある、記憶に残る新規事業を創造することが可能になります。
この記事で述べたデザイン思考とブランディングの連携は、新規事業の成功確率を高めるための重要な戦略的要素であり、プロダクト開発マネージャーや事業開発担当者にとって、今後の実践における重要な視点の一つとなるでしょう。