新規事業開発におけるデザイン思考:プロジェクト特性に応じたフレームワーク選定とカスタマイズ実践
新規事業開発におけるデザイン思考フレームワークの選定とカスタマイズ
新規事業開発において、デザイン思考は不確実性の高い状況下でユーザー中心のアプローチを実践するための有効な方法論として広く認識されています。しかし、デザイン思考と一口に言っても、スタンフォード大学のd.schoolモデル、IDEOのアプローチ、Double Diamondモデルなど、そのフレームワークや実践方法は多様に存在します。これらのフレームワークはそれぞれ異なる強調点やプロセス構造を持っており、単にいずれか一つの標準的なフレームワークを機械的に適用するだけでは、プロジェクト固有の課題や組織文化に適合しない場合があります。
新規事業開発プロジェクトが直面する課題は、対象とする市場、技術的な実現可能性、規制環境、チームの構成、プロジェクトのフェーズなどによって大きく異なります。したがって、これらの多様な状況に対応するためには、デザイン思考のフレームワークやツールをプロジェクトの特性に応じて適切に選定し、柔軟にカスタマイズする実践的な能力が不可欠となります。この記事では、新規事業開発におけるデザイン思考フレームワークの選定基準と、実践的なカスタマイズ手法について深く掘り下げて解説します。
デザイン思考フレームワークの多様性と選択の必要性
デザイン思考の基本的なプロセスは、「共感」「定義」「創造」「プロトタイプ」「テスト」といったフェーズを含むことが一般的です。しかし、各フレームワークはこれらのフェーズの定義、順序、反復のさせ方、推奨されるツールや手法において差異が見られます。
例えば、サービスデザインに重点を置く場合、カスタマージャーニーマップやサービスブループリントといったツールがより中心的な役割を果たすかもしれません。一方、高度な技術を核とするプロダクト開発においては、技術的なプロトタイピングや実現可能性の検証フェーズに多くのリソースを割く必要があるでしょう。また、組織内の新規事業開発においては、既存事業との連携や社内ステークホルダーとの合意形成プロセスが、一般的なフレームワークには明示的に含まれていない重要な要素となる場合があります。
このような多様な状況に対応するためには、プロジェクトの具体的な目標、制約、そして解決すべき課題の性質を深く理解した上で、最も効果的なフレームワーク構成を選択し、必要に応じて既存のフレームワーク要素を組み合わせたり、新たな要素を追加したりすることが求められます。フレームワークはあくまで思考と行動をガイドするための「道具」であり、その道具を目的達成のために賢く使いこなす視点が重要です。
プロジェクト特性に応じたフレームワーク選定の基準
デザイン思考のフレームワークやツールを選定、あるいは既存のものをカスタマイズする際には、以下の基準を考慮することが有効です。
- プロジェクトのフェーズ: 新規事業開発は、アイデア創出から検証、スケールアップに至るまで複数のフェーズを経ます。初期の探索段階では「共感」「定義」フェーズに重点を置いた発散的なツール(例: エスノグラフィ、広範なインタビュー、ペルソナ作成、インサイトマップ)が有効です。一方、検証フェーズでは「プロトタイプ」「テスト」フェーズを強化し、素早いMVP(Minimum Viable Product)開発やユーザーテストの繰り返しに適したプロセス構造が望ましいでしょう。
- 課題の性質と複雑性: 対象とする課題が明確か不明確か、技術的な要素が強いか、人間行動や社会システムに関わるかなど、課題の性質によって適切なアプローチが異なります。例えば、複雑なシステムやステークホルダーが絡む課題には、システム思考を取り入れたり、ステークホルダーマップを詳細に活用したりするフレームワーク構成が有効です。技術的な不確実性が高い場合は、技術的な実現可能性の検証を「プロトタイプ」フェーズだけでなく、早期から並行して行う必要があります。
- チームの構成と経験: チームメンバーのデザイン思考に関する経験レベルや専門分野も考慮に入れるべき要素です。デザイン思考の経験が浅いチームには、より構造化された、ステップが明確なフレームワークが導入しやすい場合があります。多様な専門性を持つクロスファンクショナルチームでは、共通言語として機能するツールの選定や、異なる視点を統合するためのワークショップ設計が重要になります。
- 利用可能なリソースと時間: プロジェクトにかけられる時間、予算、人員といったリソースの制約は、どの程度網羅的なリサーチを行うか、どのようなレベルのプロトタイプを作成するかといった点に影響します。リソースが限られている場合は、よりリーンなアプローチを取り入れ、最も重要な検証項目に絞ったプロトタイピングやテストを優先する必要があります。
- 組織文化と承認プロセス: 組織の意思決定プロセスや文化は、デザイン思考の実践に大きな影響を与えます。迅速な意思決定やプロトタイピング文化が根付いている組織では柔軟なカスタマイズが可能ですが、階層的な承認プロセスが必要な組織では、成果物(例: インサイトレポート、コンセプト提案)の形式や共有方法を工夫し、社内ステークホルダーを巻き込むためのステップをフレームワークに組み込む必要があるかもしれません。
- 期待されるアウトプット: 開発するものが物理的なプロダクトか、デジタルサービスか、はたまた新しいビジネスモデルや組織プロセスかによって、重点を置くべきフェーズやツールが異なります。サービスデザインの場合はジャーニーマップやサービスブループリント、ビジネスモデルの場合はビジネスモデルキャンバスなどのツールが重要になります。
これらの基準を総合的に評価し、自社のプロジェクトにとって最も効果を発揮するフレームワーク構成を検討することが、成功への鍵となります。
実践的なフレームワークのカスタマイズ手法
既存のフレームワークをプロジェクトに合わせてカスタマイズする具体的な手法としては、以下のようなものが考えられます。
- 特定のフェーズの強化または調整: 例として、技術的な課題が大きい新規事業においては、「プロトタイプ」フェーズにおいて技術検証のステップを詳細化・強化することが考えられます。また、ユーザーの潜在ニーズを深く掘り下げる必要がある場合は、「共感」「定義」フェーズにおけるリサーチ期間を延長したり、エスノグラフィなどより深い洞察を得られる手法を追加したりします。
- ツールの選択と組み合わせ: 標準的なデザイン思考で用いられるツール(ペルソナ、カスタマージャーニーマップ、ブレインストーミングなど)に加え、プロジェクトの目的に合った他のツール(例: バリュープロポジションキャンバス、リスク仮説リスト、AARRRモデルなど)を組み合わせます。これにより、デザイン思考のプロセスの中で、ビジネス的な視点や技術的な視点も統合的に考慮することが可能になります。
- 反復サイクルの設計: デザイン思考は反復的なプロセスですが、どのフェーズをどのくらいの頻度で繰り返すかをプロジェクトの進捗や学習目標に応じて調整します。例えば、初期段階では「共感」「定義」「創造」を素早く繰り返しアイデアを収斂させ、具現化段階では「プロトタイプ」「テスト」のサイクルを高速で回すといった設計が考えられます。
- アウトプット形式の調整: 各フェーズで生成されるアウトプットの形式(例: インサイトレポート、コンセプトドキュメント、プロトタイプ)を、チームや社内ステークホルダーにとって最も理解しやすく、次のアクションにつながる形に調整します。特に、経営層への報告や投資判断を目的とする場合は、ビジネスインパクトやリスクを明確に伝える形式が求められます。
- リモート環境への適応: リモートワークが常態化する中で、オンラインツール(Miro, Mural, Figmaなど)を活用したワークショップ設計や、非同期での情報共有・合意形成プロセスをフレームワークに組み込む必要があります。これは、特定のステップで利用するツールを変更するだけでなく、チームメンバー間のコミュニケーション方法や意思決定プロセス自体を再設計することを意味します。
カスタマイズを行う上で重要なのは、形式的な変更に終わらせず、なぜそのカスタマイズが必要なのか、それによってどのような効果が期待できるのかをチーム全体で共有し、合意形成を図ることです。また、一度決めたカスタマイズも、プロジェクトの進行に伴って必要であれば見直す柔軟性を持つことが成功につながります。
フレームワーク選択・カスタマイズの成功要因と注意点
フレームワークの選択とカスタマイズを成功させるためには、いくつかの重要な要因があります。第一に、目的の明確化です。なぜデザイン思考を導入するのか、このプロジェクトで何を達成したいのかを明確にし、その目的に最も合致するフレームワークやツールを選択・調整します。第二に、チームの合意形成です。カスタマイズされたプロセスをチームメンバーが理解し、納得して実践できるように、変更の理由や意図を丁寧に共有し、議論を行うことが不可欠です。第三に、柔軟性と試行錯誤です。完璧なフレームワークは存在しません。実践しながら改善点を見つけ、フレームワーク自体も進化させていく姿勢が求められます。
一方で注意すべき点もあります。フレームワークやツールが目的化しないようにすることです。ユーザー価値の創造や事業課題の解決といった本来の目的を見失わず、フレームワークはそのための手段として活用すべきです。また、必要な要素を安易に省略しないことです。リソースや時間の制約から一部のステップを省略したくなる場合もあるかもしれませんが、ユーザー理解や課題定義など、本質的な要素を飛ばしてしまうと、デザイン思考の効果が大きく損なわれる可能性があります。省略や変更を行う際には、そのリスクを十分に評価する必要があります。
まとめ
新規事業開発におけるデザイン思考の実践において、標準的なフレームワークの知識は基盤となりますが、プロジェクトの多様な特性や課題に対応するためには、フレームワークやツールの選定と柔軟なカスタマイズが不可欠です。プロジェクトのフェーズ、課題の性質、チームの構成、利用可能なリソース、組織文化、そして期待されるアウトプットといった基準を考慮し、最も効果的なアプローチを設計することが求められます。
フレームワークはあくまで道具であり、その背後にある「ユーザー中心」「反復」「実験」といったデザイン思考の本質的な精神を理解し、目的達成のために賢く使いこなすことが重要です。チームでの対話を通じてカスタマイズの意図を共有し、実践を通じて継続的に改善を図ることで、デザイン思考は新規事業開発の強力な推進力となり得ます。この記事が、読者の皆様がそれぞれのプロジェクトに最適なデザイン思考の実践方法を見つけ出すための一助となれば幸いです。