新規事業開発におけるデザイン思考:潜在ニーズと未来の可能性を発見するリサーチ実践
はじめに
新規事業開発における成功の鍵は、顧客や市場の真の理解に基づいた価値提案の創出にあります。デザイン思考は、このプロセスにおいてユーザー中心のアプローチを提供し、特に共感フェーズでのリサーチは、事業の方向性を決定づける極めて重要な活動です。しかしながら、表層的なニーズの把握に留まり、潜在的な課題や将来的な機会を見落としてしまうケースも少なくありません。
本記事では、デザイン思考のリサーチフェーズにおいて、単に顕在化しているニーズを収集するだけでなく、ユーザー自身も認識していない潜在ニーズや、未来の可能性を発見するための実践的なアプローチに焦点を当てて解説します。プロダクト開発マネージャーをはじめとする事業開発に携わる方々が、より深く、示唆に富むリサーチを行い、イノベーションの源泉を見出すための一助となれば幸いです。
潜在ニーズと未来の可能性の発見が重要な理由
潜在ニーズの重要性
潜在ニーズとは、ユーザーが言語化できていない、あるいは自身でも気づいていない根源的な欲求や不満のことです。顕在ニーズのみに応える製品やサービスは、競合他社も容易に模倣できるため、差別化が難しくコモディティ化しやすい傾向があります。一方、潜在ニーズを満たすソリューションは、ユーザーに深い共感と驚きをもたらし、強力な競争優位性を築くことができます。多くの革新的な製品やサービスは、潜在ニーズの洞察から生まれています。
未来の可能性の重要性
未来の可能性とは、現在のユーザーの行動や社会のトレンドから予測される、将来的に重要となるであろうニーズや行動様式、価値観のことです。変化の速い現代において、現在のニーズだけを見て新規事業を開発しても、完成時には市場が変化しているリスクがあります。未来を見据えたリサーチは、来るべき時代にフィットする持続可能な事業アイデアを生み出すために不可欠です。
潜在ニーズと未来の可能性を発見するためのリサーチアプローチ
デザイン思考の共感フェーズにおける基本的なリサーチ手法(インタビュー、観察など)は、潜在ニーズや未来の可能性を探る上でも有効ですが、その実施方法や深掘りの仕方に工夫が必要です。以下に具体的なアプローチをいくつかご紹介します。
1. 深化させた観察・参与観察
ユーザーが普段どのように行動し、どのような環境で生活または活動しているかを観察します。特に、以下のような点に注目することで、言語化されない潜在ニーズや非効率性、適応行動を発見しやすくなります。
- 文脈(コンテクスト)の理解: 行動の背景にある状況、感情、制約などを詳細に記録します。なぜその行動をとるのか、他に選択肢はないのかなどを深く考えます。
- 非言語情報: 表情、ジェスチャー、ため息、物の扱い方など、言葉にならないサインに注意を払います。
- 適応行動(Workarounds): ユーザーが既存のツールやプロセスをどのように「ハック」して課題を解決しようとしているかを見つけます。これは、既存ソリューションの欠陥や、新しい解決策への潜在的なニーズを示唆します。
- 参与観察: ユーザーの活動に実際に参加してみることで、表面的な観察では得られない身体的な感覚や感情、隠れた困難を体感します。
2. 深掘り型インタビュー
単に質問リストに沿って進めるのではなく、対話を通じてユーザーの深い思考や感情を引き出すことを目指します。
- 「Why」を繰り返し問う: ユーザーの発言や行動に対して、「なぜそう思うのですか」「具体的にはどのような状況ですか」「それはあなたにとって何を意味しますか」といった質問を重ね、思考の根源や感情の背景に迫ります。
- ストーリーテリングの促進: ユーザーに特定の経験や出来事について物語るように促します。「一番困った時のことを話してください」「初めて〇〇を使った時の気持ちは?」など、具体的なエピソードを引き出すことで、当時の感情や隠れたニーズが明らかになることがあります。
- 投影法や比喩の活用: 直接的な質問が難しい場合、「もし〇〇が人だったら、どんな性格だと思いますか?」「あなたの〇〇を色に例えると何色ですか?」といった抽象的な問いかけを通じて、ユーザーの無意識的な評価や感情を引き出します。
- エクストリームユーザーへのインタビュー: 通常のユーザーとは異なる極端な利用状況にある人々(ヘビーユーザー、非ユーザー、ニッチなユーザーなど)に話を聞くことで、一般的なユーザーからは得られない新しい視点や隠れたニーズを発見できる可能性があります。
3. エスノグラフィー的アプローチ
より長期間、ユーザーの自然な環境に入り込み、文化人類学的な視点から人々の行動、習慣、価値観を深く理解しようとするアプローチです。これにより、特定の製品やサービスに直接関連しない文脈からも、人間行動の普遍的なパターンや、将来の可能性につながる兆候を発見することができます。ただし、時間とコストがかかるため、プロジェクトの規模や目的に応じて適用範囲を検討する必要があります。
4. 未来洞察手法との連携
デザイン思考のリサーチに、フューチャー・スキャニングやシナリオプランニングといった未来洞察(Foresight)の手法を組み合わせることで、短期的なニーズだけでなく、社会やテクノロジーの変化が将来のユーザーの行動やニーズにどのような影響を与えるかを予測し、未来の可能性を探ります。
- トレンド分析: 社会、技術、経済、環境、政治(STEEP)といった幅広い領域のトレンドを収集・分析し、それがターゲットとするユーザーや市場にどのような影響を与えうるかを検討します。
- スペキュラティブ・デザイン: 現状の課題だけでなく、「もし〇〇だったら?」という問いに基づき、未来の極端なシナリオを想像し、そこから生まれるであろうニーズや課題をデザイン思考のリサーチテーマとして設定します。
- アーティファクト(人工物)分析: ユーザーが使用している道具、作成物、メモ、デジタルデータなどを分析します。これらは、ユーザーの思考プロセス、優先順位、そして既存ソリューションの限界を示す具体的な証拠となり得ます。
インサイト抽出プロセスの高度化
潜在ニーズや未来の可能性に関するリサーチデータは、表面的なニーズデータよりも抽象的で解釈が難しい場合があります。収集した情報から示唆(インサイト)を引き出すプロセスも深化させる必要があります。
- 多様な視点からの分析: リサーチチームだけでなく、多様なバックグラウンドを持つメンバー(エンジニア、デザイナー、マーケター、異分野の専門家など)と共にデータを見直し、異なる視点からの解釈を試みます。
- パターンの発見と意味づけ: 個々のエピソードや観察結果から共通するパターンを見つけ出します。そのパターンがなぜ存在するのか、ユーザーにとってどのような意味を持つのかを深く問い直します。
- インサイトのフレーミング: 発見したインサイトを、単なる事実の羅列ではなく、「[ユーザータイプ]は、[特定の状況]において、[根源的なニーズや欲求]を感じている。それは、[既存の解決策では満たされない理由]による」といった構造で言語化することで、チーム全体で共有しやすくなります。
- インサイトの検証: 引き出されたインサイトが本当にユーザーの潜在ニーズや未来の可能性を示しているのか、追加のリサーチやプロトタイピングを通じて検証します。
実践上の課題と克服策
これらの深掘り型リサーチは、従来のニーズ調査に比べて時間と労力がかかります。また、定性的なデータが中心となるため、その解釈や分析には高度なスキルや経験が求められます。
- 時間・予算の制約: リサーチ計画の初期段階で、深掘り型リサーチに十分な時間と予算を確保することが重要です。必要に応じて、リサーチ範囲を絞り込む、既存のリサーチ手法と組み合わせるなどの工夫を行います。
- スキル・経験不足: 深掘り型インタビューや観察のスキルはトレーニングによって向上します。チーム内でロールプレイングを行ったり、経験者から学ぶ機会を設けたりすることが有効です。外部の専門家を活用することも選択肢となります。
- 組織内の理解: なぜこのような深掘りリサーチが必要なのか、その価値を組織内で共有し、理解を得ることが重要です。リサーチの初期段階から関係者を巻き込み、発見したインサイトを具体例と共に分かりやすく伝える努力が必要です。
まとめ
新規事業開発におけるデザイン思考のリサーチフェーズは、顕在ニーズの把握に留まらず、ユーザー自身も気づいていない潜在ニーズや、将来重要となるであろう未来の可能性を発見することを目指すべきです。深化させた観察、深掘り型インタビュー、エスノグラフィー的アプローチ、そして未来洞察手法との連携は、これらの深層的な洞察を得るための強力なツールとなります。
発見された潜在ニーズや未来の可能性は、事業アイデアの差別化や持続的な成長に不可欠な基盤となります。これらの実践的なアプローチをリサーチ活動に取り入れることで、より示唆に富んだインサイトを獲得し、不確実性の高い新規事業開発において、真に価値ある革新を創出していくことが可能になります。継続的にリサーチスキルを磨き、多様な視点からユーザーと未来を理解しようと努めることが、成功への鍵と言えるでしょう。