新規事業開発におけるデザイン思考:真の課題を掘り起こす問いの設定力
はじめに
新規事業開発は、不確実性の高い環境下で、まだ見ぬ顧客のニーズに応える革新的な価値を創造するプロセスです。このプロセスにおいてデザイン思考は、人間中心のアプローチを通じて、複雑な課題を解きほぐし、実現可能で望ましいソリューションを生み出すための強力なフレームワークとして広く認識されています。しかし、デザイン思考を実践する中で、期待される成果が得られない、あるいは表面的な理解に留まってしまうという課題に直面することもあります。その原因の一つに、「問い」の質の低さが挙げられます。
デザイン思考の各フェーズ、特に共感(Empathize)フェーズと定義(Define)フェーズにおいて、どのような「問い」を立てるかは、その後のアイデア創出やプロトタイピングの方向性を決定づける極めて重要な要素です。質の低い問いは、浅いインサイトしか得られず、結果としてありきたりな、あるいは顧客の真の課題から外れたソリューションにつながりかねません。
この記事では、新規事業開発におけるデザイン思考の実践において、いかにして真の課題や潜在ニーズを掘り起こす質の高い「問い」を設定するかに焦点を当てます。デザイン思考の各フェーズにおける問いの役割を確認し、具体的な問いの設定手法や実践上のポイントについて深く掘り下げて解説します。
デザイン思考における「問い」の役割
デザイン思考は、問題解決やイノベーション創出のための非線形なプロセスですが、一般的に共感、定義、発想、プロトタイピング、テストという5つのフェーズで説明されます。これらのフェーズを通じて、私たちはユーザーを深く理解し、課題を明確に定義し、多様なアイデアを生み出し、それを形にして検証を進めます。
「問い」は、この一連のプロセス全体を通して、私たちの思考と行動を導く羅針盤のような役割を果たします。
- 共感フェーズ: ユーザーの経験、感情、動機、コンテクストなどを理解するために、観察やインタビューを行います。この際、どのような問いを立てるかによって、得られる情報の深さと質が大きく変わります。表面的な行動だけでなく、その背景にある「なぜ」や「どのように」を掘り下げる問いが不可欠です。
- 定義フェーズ: 共感フェーズで収集した情報から、ユーザーのニーズや課題、そして得られたインサイトを分析・統合し、解決すべき真の課題を明確に定義します。このフェーズでの問いは、得られたデータの中から重要なパターンや矛盾点を見つけ出し、問題の核心を「どのような課題として捉えるべきか?」と問い直す役割を果たします。特に「How Might We...?(どうすれば〜できるか?)」という形式の問いは、課題を解決可能な挑戦に変え、次の発想フェーズへの橋渡しをします。
- 発想フェーズ: 定義された課題に対して、多様なアイデアを生み出します。ここでは、固定観念を打ち破り、創造性を刺激するような問いが必要です。「もし〇〇が可能なら?」「全く違う視点から見ると?」といった問いが、既成概念にとらわれない発想を促します。
- プロトタイピング&テストフェーズ: 生み出されたアイデアを具体的な形(プロトタイプ)にし、ユーザーからのフィードバックを得ながら検証を進めます。このフェーズでの問いは、プロトタイプがユーザーの課題を本当に解決しているか、どのような点が機能し、どのような点に改善が必要かを探るために用いられます。「この部分を使ってみてどう感じましたか?」「もし〇〇だったらどうですか?」といった具体的な問いが、検証を深めます。
このように、「問い」はデザイン思考の全てのフェーズにおいて、私たちの理解を深め、思考を促進し、適切な行動へと導くための中心的な要素となります。
質の高い問いの特性
それでは、新規事業開発において真の課題を掘り起こすための「質の高い問い」とはどのような特性を持つのでしょうか。以下にその主な特性を挙げます。
- オープンエンドである: 「はい」か「いいえ」で答えられるクローズドな問いではなく、「なぜ」「どのように」「具体的にどのような」といった、語りを促すオープンな問いは、ユーザーからより深い洞察や背景情報を引き出します。
- バイアスが少ない: 特定の答えや方向へ誘導する意図や前提を含まない問いは、ユーザーの率直な意見や隠されたニーズを引き出しやすくなります。「〇〇は良いですよね?」といった問いは、相手を肯定的な回答に誘導する可能性があります。
- 探求心を刺激する: 問い自体が、答える側だけでなく、問いを立てる側にも新たな視点や気づきをもたらすものであること。既存の知識や仮説を問い直し、未知の領域へと探求を促す問いは、より深いインサイトにつながります。
- 現状を問い直す: 当たり前だと思われていること、定着している習慣、見過ごされている前提などに対して、「なぜそうなっているのか?」「他の可能性は?」と問い直すことで、本質的な課題が見えてくることがあります。
- 抽象度と具体度のバランス: ユーザーの感情や価値観といった抽象的な側面を探る問いと、具体的な行動や状況について尋ねる問いをバランス良く組み合わせることで、全体像と詳細の両方を理解できます。
- 共感と好奇心に基づく: ユーザーへの深い共感と、その人の世界に対する純粋な好奇心から生まれる問いは、相手に心を開かせ、真実を語りやすくします。
新規事業開発における問いの設定手法と実践
デザイン思考の主要なフェーズに沿って、具体的な問いの設定手法と実践のポイントを見ていきます。
共感フェーズにおける問いの設定
共感フェーズの目的は、ターゲットユーザーを深く理解することです。インタビューや観察を通じて、ユーザーのニーズ、課題、動機、行動パターン、感情などを探ります。ここで鍵となるのは、「ユーザーが何を語るか」だけでなく、「なぜそう語るのか」「何を語らないのか」「どのような行動をとるのか」といった、言葉の裏側や行動の背景にあるものを探る問いです。
- 具体的な手法と問いの例:
- 「なぜ」を繰り返す(5 Whys): ユーザーが抱える問題や不満について、「なぜそうなのですか?」と5回(あくまで目安)深掘りすることで、根本的な原因や真のニーズにたどり着くことがあります。
- 例:「この機能が使いにくい」というユーザーの声に対して、「なぜ使いにくいと感じますか?」→「ボタンがどこにあるかすぐ分からないから」→「なぜすぐ分からないのですか?」...と深掘りします。
- 感情や経験に焦点を当てる: 具体的な状況におけるユーザーの感情や経験について尋ねます。
- 例:「その時、どのような気持ちでしたか?」「その経験について、詳しく聞かせてもらえますか?」
- 行動の背景を探る: なぜユーザーが特定の行動をとるのか、その理由やきっかけを尋ねます。
- 例:「〇〇を使っているとのことですが、どのような時にそれを使いますか?」「〇〇を使い始めたきっかけは何ですか?」
- 困難や不満を掘り下げる: ユーザーが日常で直面する困難や不満について、具体的なエピソードとともに尋ねます。
- 例:「普段の生活で、何かうまくいかないと感じることはありますか?」「もし〇〇ができたら、何が変わると思いますか?」
- 理想や願望を探る: ユーザーが理想とする状態や、心の中で望んでいることについて尋ねます。
- 例:「もしどんな製品やサービスでも使えるとしたら、どのようなものがあれば生活が良くなると思いますか?」「将来、〇〇がどうなってほしいと思いますか?」
- 「なぜ」を繰り返す(5 Whys): ユーザーが抱える問題や不満について、「なぜそうなのですか?」と5回(あくまで目安)深掘りすることで、根本的な原因や真のニーズにたどり着くことがあります。
定義フェーズにおける問いの設定
共感フェーズで得られた膨大な情報の中から、意味のあるパターンやインサイトを見つけ出し、解決すべき「真の課題」を明確に定義するのが定義フェーズです。ここで重要なのは、単なる問題点を羅列するのではなく、ユーザーの視点から、共感とインサイトに基づいた課題記述を行うことです。
- 具体的な手法と問いの例:
- Point of View (PoV) の設定: 「[ユーザーの種類]は、[ニーズ]を必要としている。なぜなら[インサイト]だからだ。」という形式で、課題をユーザー視点で定義します。このPoVを設定する過程で、収集した情報に対して様々な角度から問いを立てます。
- 例:「私たちは、収集した複数のインサイトから、どのようなユーザーを、どのようなニーズを持つと定義するのが最も適切か?」「このインサイトの裏側にある、ユーザーの本当の欲求は何だろうか?」
- 「How Might We...?(どうすれば〜できるか?)」問いの生成: 定義されたPoVや課題に基づいて、解決策の方向性を示す「問い」を生成します。これは、課題を解決可能なチャレンジに変えるためのフレームワークです。
- 例:PoVが「仕事に追われるビジネスパーソンは、手軽に健康的な食事を摂ることを必要としている。なぜなら、健康を意識する余裕がないと感じているからだ。」である場合、How Might We...? の問いとして「どうすれば、仕事に追われるビジネスパーソンが、健康を意識する余裕がないと感じていても、手軽に健康的な食事を摂れるようにできるか?」などが考えられます。
- 課題の再フレーミング: 同じインサイトや問題状況でも、問いの立て方を変えることで、全く異なる解決策の方向性が生まれます。
- 例:「電車が混雑している」という問題に対して、「どうすれば電車の混雑を解消できるか?」だけでなく、「どうすれば混雑していても快適に過ごせるか?」「どうすれば混雑する時間帯を避けて移動できるか?」など、複数の問いを立ててみます。
- 前提条件を疑う問い: 設定しようとしている課題定義に、無意識の前提や制約が含まれていないかを確認します。
- 例:「私たちは、この課題を〇〇という文脈で捉えているが、他の文脈で捉え直すとどうなるか?」「この課題に取り組む上で、当たり前だと思っていることは何か?それは本当にそうか?」
- Point of View (PoV) の設定: 「[ユーザーの種類]は、[ニーズ]を必要としている。なぜなら[インサイト]だからだ。」という形式で、課題をユーザー視点で定義します。このPoVを設定する過程で、収集した情報に対して様々な角度から問いを立てます。
実践上のポイント
質の高い問いを設定し、それを活用してデザイン思考を効果的に進めるためには、いくつかの実践的なポイントがあります。
- チームでの共同作業: 問いの設定は、一人で行うよりもチームで行う方が、多様な視点を取り入れ、バイアスを減らしやすくなります。共感フェーズのデータ分析や定義フェーズでのPoV設定、How Might We...? の生成は、チームメンバーがそれぞれの視点から問いを出し合い、議論を深めることで質が高まります。
- 問いの意図と目的を明確にする: その問いをなぜ立てるのか、何を知りたいのか、その情報をどう活用するのかを事前に明確にしておくことが重要です。これにより、問いがブレることなく、必要な情報を効率的に収集できます。
- 問いをリスト化し、共有・洗練する: 設定した問いをリスト化し、チームで共有し、定期的に見直して洗練させていくプロセスは非常に有効です。特にインタビューガイドやワークショップのアジェンダを作成する際に役立ちます。
- 柔軟性と適応性を持つ: 調査や議論を進める中で、当初想定していなかった重要なインサイトや新たな疑問が出てくることがあります。その際は、事前に準備した問いに固執せず、状況に応じて新たな問いを立てたり、問いの方向性を修正したりする柔軟性が必要です。
- ファシリテーションの役割: 問いの設定を含むデザイン思考のセッションにおいては、ファシリテーターの役割が重要です。ファシリテーターは、参加者が遠慮なく問いを出せる心理的安全性を確保し、問いの質を高めるための示唆を与え、議論が問いから逸れないようにガイドします。
- 「質問攻め」にならない配慮: インタビューなどの場面では、一方的に質問を投げかけるだけでなく、相手のペースに合わせて傾聴し、共感を示すことが信頼関係を築き、より深い話を引き出すために重要です。問いと傾聴のバランスが求められます。
複雑な課題への応用と組織文化への浸透
新規事業開発においては、市場の複雑さ、技術的不確実性、多様なステークホルダーの存在など、様々な複雑性が伴います。このような状況下で真の課題を掘り起こすためには、問いの設定力はさらに重要になります。
- 多角的な視点からの問い: ユーザーだけでなく、事業の持続性、技術的な実現可能性、パートナーシップ、社会的な影響など、異なる視点からの問いを組み合わせることで、複雑なシステム全体を俯瞰し、より包括的な課題設定が可能になります。
- 例:「ユーザーにとっての価値は何か?」だけでなく、「事業としてこれを継続するための収益モデルは?」「技術的なボトルネックは何か?」「この事業は社会にどのような影響を与える可能性があるか?」といった問いを並行して探求します。
- ステークホルダーごとの問い: 異なるステークホルダー(顧客、従業員、パートナー、規制当局など)はそれぞれ異なるニーズや懸念を持っています。ステークホルダーごとに異なる問いを立て、それぞれの視点を深く理解することが、複雑なエコシステム全体における課題を捉える上で不可欠です。
組織文化への浸透という観点では、「良い問い」を立てる習慣を組織全体で育むことが、デザイン思考の実践力を高め、イノベーションを持続させる基盤となります。リーダーシップは、自らが良い問いを立てる姿勢を示すとともに、チームメンバーが自由に発言し、既存の考え方を問い直すことを奨励する環境を整備することが求められます。「これは本当に顧客のためになっているか?」「他にどのような可能性があるか?」といった問いが日常的に交わされる組織は、変化への対応力とイノベーション創出力が高まります。
結論
新規事業開発におけるデザイン思考の実践において、真の課題や潜在ニーズを掘り起こすための鍵は、質の高い「問い」を設定する能力にあります。共感フェーズでユーザーを深く理解し、定義フェーズで真の課題を明確にするためには、表面的な事柄だけでなく、その背景にある「なぜ」や「どのように」を探る問い、そして固定観念を打ち破る問いが不可欠です。
この記事で紹介した様々な問いの設定手法や実践上のポイントは、デザイン思考をより深く、そして効果的に活用するための具体的な示唆を提供するものです。質の高い問いをチームで共同して設定し、継続的に洗練させていくプロセスは、新規事業開発の成功確率を高めるだけでなく、組織全体の探求力と問題解決能力を向上させることにもつながります。
デザイン思考を実践する際は、単にフレームワークの手順を追うだけでなく、「私たちは今、何について問いを立てるべきか?」「その問いは本当に重要で、私たちを真実へと導くか?」と常に自問自答し、問いの質を高める努力を続けていくことが重要です。この「問いの設定力」こそが、不確実な未来において、真に価値ある新規事業を生み出すための基盤となるでしょう。