新規事業開発におけるデザイン思考:クロスファンクショナルチームでの共通理解と協働を深める実践論
新規事業開発におけるデザイン思考:クロスファンクショナルチームでの共通理解と協働を深める実践論
新規事業開発は、不確実性が高く、多様な専門知識と視点が求められる活動です。この複雑なプロセスにおいて、デザイン思考は顧客中心のアプローチと反復的な検証サイクルを提供し、成功確率を高めるための有効なフレームワークとして広く認識されています。特に、エンジニアリング、デザイン、マーケティング、ビジネス開発など、異なるバックグラウンドを持つメンバーで構成されるクロスファンクショナルチーム(以下、CFT)において、デザイン思考の活用は不可欠な要素となりつつあります。
しかしながら、CFTでのデザイン思考実践には特有の課題が存在します。メンバー間の専門用語の違いによるコミュニケーションの壁、プロセスの各フェーズにおける理解度のばらつき、異なる部門の優先順位や文化の違いなどが、共通理解の醸成や効果的な協働を阻害する可能性があります。本記事では、新規事業開発を推進するCFTが、これらの課題を乗り越え、デザイン思考の実践を通じて共通理解を深め、協働を加速させるための具体的なアプローチと実践論を詳述します。
クロスファンクショナルチームにデザイン思考が必要な理由
現代の新規事業開発において、単一の部門や専門性のみで市場の複雑なニーズや技術的機会を捉え、実行に移すことは困難です。CFTは、多様な視点とスキルセットを結集することで、より網羅的な問題発見、多角的なアイデア創出、現実的な実現可能性の評価、効果的な市場投入を可能にします。
デザイン思考は、このようなCFTの強みを最大限に引き出すための共通言語とプロセスを提供します。共感(Empathize)、定義(Define)、概念化(Ideate)、プロトタイプ(Prototype)、テスト(Test)という一連のフェーズを通じて、チームは共通のユーザー像を構築し、解決すべき課題を共有し、多様なアイデアを検討し、具体的な形にして検証するというサイクルを回します。このプロセスは、異なる専門性を持つメンバーが、共通のゴール(ユーザーへの価値提供)に向かって建設的に議論し、互いの知見を統合するための強力な枠組みとなります。
具体的には、デザイン思考はCFTに以下の価値をもたらします。
- 共通のユーザー理解: 異なる視点から得られたユーザーインサイトを共有し、チーム全体で共通のペルソナやカスタマージャーニーマップを構築することで、ユーザーへの深い共感を醸成します。
- 課題の明確化と共有: 多様な情報から本質的な課題を定義するプロセスを通じて、チーム全体が取り組むべき問題の核心を共有し、目的意識を統一します。
- 多角的なアイデア創出: 異なる専門性を持つメンバーが自由にアイデアを出し合うことで、従来の思考の枠にとらわれない革新的な解決策が生まれやすくなります。
- 迅速な検証と学習: 具体的なプロトタイプを作成し、早期にユーザーや関係者からフィードバックを得ることで、リスクを低減し、効率的に学習を進めることができます。
- オーナーシップと参画意識の向上: プロセスの各段階に主体的に関与することで、メンバーはプロジェクトに対するオーナーシップと参画意識を高めることができます。
CFTにおけるデザイン思考実践の課題
デザイン思考の理論的な利点は明らかである一方で、CFTで実践する際にはいくつかの乗り越えるべき課題に直面します。
- 共通言語と概念の理解の壁: デザイン思考独自の専門用語や概念(例: ペルソラ、プロトタイピング、イテレーション)に対する理解度が、メンバーのバックグラウンドによって異なる場合があります。これにより、議論やワークショップの効果が低下する可能性があります。
- プロセスの進め方に対する認識のずれ: デザイン思考は線形的なプロセスではなく、反復やジャンプバックを含む柔軟なアプローチですが、これを十分に理解していない場合、特定のフェーズで停滞したり、次のステップに進むタイミングを見失ったりすることがあります。
- 専門性の違いによる意見の対立: エンジニアは技術的実現可能性、デザイナーはユーザー体験、マーケターは市場性など、それぞれの専門領域からの視点や優先順位が異なるため、アイデアの評価や意思決定において意見の対立が生じやすい場合があります。
- 心理的安全性の不足: 異なる専門性を持つメンバーの前で、自分の専門領域外のアイデアや率直な疑問を表現することに抵抗を感じる場合、活発な議論や多様なアイデアの創出が阻害されます。
- ファシリテーションの難しさ: 多様な意見やバックグラウンドを持つメンバーをまとめ、デザイン思考プロセスを円滑に進めるためのファシリテーションには高度なスキルが求められます。
課題を乗り越えるための実践的アプローチ
これらの課題を克服し、CFTでのデザイン思考実践を成功に導くためには、意図的かつ具体的なアプローチが必要です。
1. 共通理解の醸成
- デザイン思考の基本研修の実施: CFT結成初期に、デザイン思考の基本的な考え方、プロセス、主要なツールについて、チーム全体で共通の理解を得るための研修を実施します。座学だけでなく、簡単なワークショップ形式を取り入れることが効果的です。
- 共通の用語集とフレームワークの共有: チーム内で使用するデザイン思考関連の用語やフレームワーク(例: ペルソナテンプレート、ジャーニーマップの形式)を統一し、いつでも参照できる状態にします。
- 共同でのリサーチとインサイト共有: ユーザーリサーチ(インタビュー、観察など)に可能な限り多くのメンバーが参加し、得られた情報を共同で分析・共有する場を設けます。これにより、それぞれの専門性に基づいた異なる視点からのインサイトを統合し、ユーザー理解を深めます。ペルソナやカスタマージャーニーマップは、特定の誰かではなく、チーム全体で共同で作成し、チームの「共通言語」として活用します。
2. 効果的な協働の促進
- 役割と期待値の明確化: 各メンバーのデザイン思考プロセスにおける役割(例: リサーチャー、アイデア発案者、プロトタイパー、テスターなど)と、それぞれのフェーズでの期待値を明確に共有します。これにより、互いの貢献に対する理解が深まります。
- 心理的安全性の確保: チーム内で率直な意見交換ができるように、心理的安全性の高い環境を構築します。失敗を恐れずに新しいアイデアを提案できる雰囲気作り、多様な意見を尊重する姿勢、建設的なフィードバックの文化を醸成します。チームビルディング活動や、定期的な1on1ミーティングを通じて、メンバー間の信頼関係を築くことも重要です。
- 効果的なファシリテーション: ワークショップやミーティングにおいては、経験豊富なファシリテーターがプロセスを主導します。ファシリテーターは、議論の方向性を維持し、特定の専門性のメンバーが支配的にならないようにバランスを取り、すべてのメンバーが発言しやすい雰囲気を作ります。必要に応じて外部の専門家や社内のデザイン思考推進者を活用することも検討します。
- 視覚的な共同作業ツールの活用: Miro、FigJamなどのオンラインホワイトボードツールを活用し、アイデア発想、情報整理、プロトタイピングなどを視覚的に共同で行います。これにより、リモート環境でもリアルタイムでの密な協働が可能となり、異なる専門性を持つメンバーも直感的にプロセスに参加しやすくなります。
- 迅速なプロトタイピングと継続的なフィードバック: アイデアを早期に、低コストでプロトタイプ化し、迅速にユーザーや関係者からフィードバックを得るサイクルを回します。プロトタイピングはデザイナーやエンジニアだけでなく、チーム全体で取り組む姿勢が重要です。フィードバックは建設的に受け止め、次のイテレーションに活かす文化を醸成します。
3. 特定のフェーズでの課題対応
CFTはデザイン思考プロセスの各フェーズで異なる課題に直面する可能性があります。
- 共感・定義フェーズ: 異なる専門性からのインサイトをどのように統合し、共通の課題定義に落とし込むかが鍵です。インサイトクラスタリングやアフィニティダイアグラムなどのツールを共同で活用し、多様な情報を構造化して共有します。Problem StatementやHMW(How Might We)クエスチョンをチーム全体で吟味し、取り組むべき課題を明確にします。
- 概念化フェーズ: 自由なアイデア発想(ブレインストーミング)と、実現可能性やビジネスインパクトを考慮したアイデアの選定のバランスが課題となります。アイデア発想時には批判をせず、多様な視点からのアイデアを歓迎するルールを徹底します。アイデア選定時には、Impact/Effortマトリクスやビジネスモデルキャンバスなどのフレームワークを共有し、多角的な視点から評価を行います。
- プロトタイプ・テストフェーズ: 技術的実現可能性、デザイン、ユーザー体験、ビジネス要件などを統合したプロトタイプを作成し、検証計画を立てることが重要です。技術担当者は早期に実現可能性についてフィードバックを提供し、ビジネス担当者はテスト結果をビジネスインパクトと関連付けて評価するなど、それぞれの専門性を活かした関与が求められます。テスト結果の解釈においても、多角的な視点からの分析が不可欠です。
4. リーダーシップと組織文化
CFTでのデザイン思考実践を成功させるためには、チーム内の努力だけでなく、組織全体のサポートとリーダーシップが不可欠です。
- マネージャーの役割: プロダクト開発部マネージャーのようなリーダーは、デザイン思考を実践するための時間、リソース、ツールへの投資を決定し、チームがプロセスに集中できる環境を整備します。また、異なる部門間の連携を促進し、チーム内の意見対立や組織的な障壁に対してサポートを提供します。デザイン思考の価値を組織全体に啓蒙する役割も担います。
- 成功事例の共有と学習文化: CFTでのデザイン思考の実践を通じて得られた成功事例や学習(たとえそれが失敗から得られたものであっても)を組織内で積極的に共有します。これにより、他のチームへの波及効果を促し、組織全体としてデザイン思考に対する理解と実践レベルを高めることができます。継続的な学習と改善を奨励する文化を醸成します。
まとめ
新規事業開発におけるクロスファンクショナルチームでのデザイン思考実践は、多くの組織にとって不可欠なアプローチとなりつつあります。多様な専門性を持つメンバーが集まるCFTは、デザイン思考のフレームワークを通じて、共通のユーザー理解に基づいた革新的なアイデアを創出し、迅速に検証を進めることが可能です。
しかし、その実践においては、共通言語の壁、プロセスの理解度、専門性の違いによる意見の対立、心理的安全性の不足といった特有の課題が存在します。これらの課題を乗り越えるためには、デザイン思考の基本に関する共通理解の醸成、心理的安全性の確保、効果的なファシリテーション、視覚的な共同作業ツールの活用、迅速なプロトタイピングとフィードバックといった実践的なアプローチが不可欠です。
プロダクト開発部マネージャーをはじめとするリーダーは、チームがデザイン思考を効果的に実践できるよう、環境整備、リソース提供、部門間の連携促進、そして学習文化の醸成において重要な役割を果たします。CFTがこれらのアプローチを粘り強く実践することで、新規事業開発の不確実性を乗り越え、真にユーザーに価値を届けるプロダクトやサービスを生み出す可能性を最大限に高めることができるでしょう。デザイン思考は、単なる手法ではなく、CFTにおける協働とイノベーションを駆動する強力なマインドセットとして、組織全体に深く根付いていくことが期待されます。