新規事業開発におけるデザイン思考:不確実な未来を探求するフューチャー・デザインとの連携
はじめに:不確実な未来における新規事業の課題
新規事業開発は、未だ見ぬ顧客ニーズや市場の可能性を探求する営みであり、常に高い不確実性を伴います。顧客中心のアプローチで課題解決を目指すデザイン思考は、この不確実性への有効なアプローチとして広く認識されています。しかし、デザイン思考が既存の顧客や顕在化している課題に焦点を当てがちな場合、将来起こりうる社会や技術の変化、そして未来の顧客の潜在的なニーズや願望を見落とす可能性があります。真に破壊的なイノベーションや、数年、数十年先の社会で必要とされるサービスやプロダクトを生み出すためには、より長期的な視点からの未来探求が不可欠となります。
このような背景から、デザイン思考と未来志向のデザイン(フューチャー・デザイン、投機的デザイン、批判的デザインなどを含む概念)を連携させることへの関心が高まっています。本稿では、新規事業開発において、デザイン思考のフレームワークにフューチャー・デザインの視点や手法を取り入れることで、不確実な未来を探求し、より本質的で持続可能な事業アイデアを創出するための実践的なアプローチについて詳述します。
デザイン思考の強みと新規事業における限界
デザイン思考は、共感、定義、創造、プロトタイピング、テストという反復的なプロセスを通じて、ユーザー中心の課題解決とイノベーションを推進します。特に、ユーザーへの深い共感に基づくニーズの発見、アイデアの発散と収束、そして迅速なプロトタイピングによる検証は、新規事業の初期段階における仮説検証において強力なツールとなります。
一方で、デザイン思考の実践が、現在の顧客の不満や既存市場の延長線上にある課題解決に終始してしまうという課題も指摘されています。これは、現在のユーザーへの共感が強すぎるあまり、将来的に大きく変化する可能性のあるコンテキストや、まだ存在しないニーズを捉えきれないことに起因することがあります。特に、技術革新や社会変動のスピードが速い現代においては、現在の延長線上にない未来を構想する力が新規事業の成否を分ける鍵となります。
フューチャー・デザインの概念と目的
フューチャー・デザインは、単に未来を予測するのではなく、「ありうる未来 (Plausible Futures)」「起こりうる未来 (Probable Futures)」「好ましい未来 (Preferable Futures)」「ありえないが挑発的な未来 (Possible Futures)」といった多様な未来の可能性を構想し、探求する活動です。これは、未来の可能性を示すアーティファクト(投機的なプロダクトやシナリオ)を通じて、現在に対する批判的な視点を提供したり、望ましい未来について対話を促したりすることを目的とします。投機的デザイン(Speculative Design)や批判的デザイン(Critical Design)は、このフューチャー・デザインという大きな傘の中に含まれるアプローチです。
フューチャー・デザインの主な目的は以下の通りです。
- 未来の可能性の探求: 現在のトレンドや潜在的な兆候から、複数の異なる未来シナリオを描き出します。
- 現状への批判的視点: 望ましくない未来や、現在の技術や社会の方向性がもたらしうる予期せぬ結果を提示することで、現状のシステムや前提に問いを投げかけます。
- 対話と議論の促進: 未来の可能性を具現化したプロトタイプやシナリオを通じて、ステークホルダー間での深い対話や議論を促し、集団的な未来に対する意識を高めます。
- 新たな問いと機会の発見: 現在の枠組みにとらわれない未来のコンテキストを考えることで、既存のデザイン思考プロセスでは見落としがちな、新しい問いや事業機会を発見します。
デザイン思考とフューチャー・デザインの連携による新規事業開発
新規事業開発において、デザイン思考のユーザー中心のアプローチと、フューチャー・デザインの未来探求の視点を連携させることは、短期的な課題解決と長期的な機会創出の両立を可能にします。具体的な連携は、デザイン思考の各フェーズにフューチャー・デザインの手法や考え方を取り入れる形で実践できます。
1. 共感フェーズへの未来洞察の導入
デザイン思考の共感フェーズでは、現在のユーザーへの深い理解を目指しますが、ここでフューチャー・デザインの視点を加えます。
- トレンド分析と兆候の探求: 現在の社会、技術、環境、政治、経済などのトレンドに加え、まだ小さく目立たない「兆候(Signals)」を幅広く収集・分析します。これらの兆候は、未来の変化の片鱗を示唆するものです。
- 未来シナリオの作成: 収集したトレンドや兆候に基づき、数年後、数十年後の複数の未来シナリオを作成します。これらのシナリオは、起こりうる社会構造や人々の生活様式の変化を描き出すものです。
- 未来のユーザーのペルソナ/コト体験: 作成した未来シナリオの中で、将来のユーザーがどのような環境で生活し、どのようなニーズや課題を抱える可能性があるかを具体的に描写した未来のペルソナやコト体験マップを作成します。
この段階で未来の視点を導入することで、現在の課題解決に留まらず、将来起こりうる課題や潜在的な機会を早期に発見し、探求すべき領域を広げることができます。
2. 定義フェーズにおける未来の課題設定
共感フェーズで得られた未来の洞察と現在のユーザー理解を統合し、「どのような未来において、誰のどのような課題を解決するか」という形で課題を定義します。単に現在の問題を解決するだけでなく、将来的に重要となるであろう課題や、現在の行動が未来にどのような影響を与えるか、といった長期的な視点を含めた課題設定を行います。例えば、「AIが浸透した社会において、高齢者の孤独という課題はどのように変化しうるか」といった問いを設定することが考えられます。
3. 創造フェーズでの未来のユースケース創出
設定した未来の課題に対し、多様なアイデアを発想します。フューチャー・デザインの視点を取り入れることで、現在の技術や社会規範に囚われない、よりラディカルで投機的なアイデアの創出を促します。
- ブレインストーミングの拡張: 未来シナリオを起点に、「その未来で必要とされるものは何か」「その未来では当たり前になっていることは何か」といった問いからアイデアを発想します。
- バイアスからの解放: 現在の技術的・経済的制約を一時的に外し、「もし〇〇が可能になったら」という思考実験を通じて、常識を覆すようなアイデアを模索します。
- 未来のプロダクト/サービス構想: 作成した未来シナリオの中で、具体的にどのようなプロダクトやサービスが必要とされるか、その体験はどのようなものになるかを描き出します。
4. プロトタイピングフェーズにおける未来体験の具現化
デザイン思考のプロトタイピングは具体的な製品やサービスの形にすることが多いですが、フューチャー・デザインにおいては、未来の可能性や課題を体現する「投機的なプロトタイプ(Speculative Prototype)」を作成します。
- 未来のアーティファクト: 数年後、数十年後の社会で当たり前になっているかもしれない架空のプロダクト、サービス、システムの一部を物理的なオブジェクト、映像、物語、インタラクティブな体験などの形で具現化します。これは必ずしも実現可能性を追求するものではなく、未来のアイデアを触れたり体験したりできるようにすることで、人々に具体的な想像と議論を促すためのものです。
- シナリオベースのプロトタイピング: 未来シナリオの中で人々がどのように振る舞い、技術やサービスとどのように関わるかを詳細に描写したストーリーボードや体験フローを作成し、未来の生活を「体験」できるようにします。
- 未来のサービスジャーニーマップ: 未来のユーザーが、将来のサービスやプロダクトとどのように関わるかのジャーニーマップを描き、その中で生じるであろう新しいニーズや課題を特定します。
これらの未来志向のプロトタイプは、単なる機能検証のためではなく、未来の可能性やそれに伴う倫理的・社会的な問いについて、ステークホルダー間で深い対話を促すためのツールとして機能します。
5. テストフェーズでの未来コンセプトの検証と対話
作成した未来志向のプロトタイプやシナリオを、ターゲットとなるユーザーやステークホルダーに提示し、フィードバックを得ます。このフェーズでは、プロトタイプの「正しさ」を検証するのではなく、「この未来についてどう思うか」「このプロトタイプはどのような問いを投げかけるか」「この未来は望ましいか/望ましくないか」といった、未来の可能性やそれに対する反応についての対話を引き出すことに重点を置きます。
- 対話型ワークショップ: 未来のプロトタイプを囲んで、参加者が未来について自由に意見交換できるワークショップを実施します。
- フューチャー・プルーフィング(Future-Proofing): 現在検討している事業アイデアや戦略が、作成した様々な未来シナリオの中でどのように機能するか、どのようなリスクや機会が存在するかを評価します。
- 新たなインサイトの獲得: 未来の可能性に対する人々の反応や議論から、現在のデザイン思考プロセスだけでは得られなかった新たなインサイトや方向性を獲得します。
実践上のポイントと課題
デザイン思考とフューチャー・デザインの連携は強力なアプローチですが、実践においてはいくつかのポイントと課題があります。
- 抽象度への対応: フューチャー・デザインは抽象度が高く、具体的な事業アイデアに直結しにくいと感じられることがあります。明確な目的意識を持ち、どの段階でデザイン思考の具体的なプロセスに橋渡しするかを設計することが重要です。
- ステークホルダーの理解と巻き込み: 未来の探求は、特に伝統的な組織文化においては非現実的と見なされるリスクがあります。リーダーシップによるสนับสนุนと、未来探求の意義や期待される成果について、ステークホルダーへの丁寧な説明と継続的な対話を通じて理解を促進することが不可欠です。
- 成果の評価: 未来探求の成果は、短期的な売上や市場シェアといった定量的な指標で測ることが困難です。生み出されたインサイトの質、新しい問いの発見、組織内の未来に対する意識の変化、長期的な戦略への貢献といった、より定性的な視点からの評価指標を設定する必要があります。
- ファシリテーションの重要性: 抽象的な未来の議論から具体的な事業アイデアへの落とし込み、多様なステークホルダー間の対話促進には、高いファシリテーション能力が求められます。
これらの課題に対し、専門的なファシリテーターの起用や、フューチャー・デザインの手法に関するチームメンバーの継続的な学習が有効な対策となります。
まとめ:未来志向のデザイン思考で不確実性を乗り越える
新規事業開発における不確実性は避けられない要素ですが、デザイン思考とフューチャー・デザインを連携させることは、この不確実性を単なるリスクとしてではなく、未知の機会として捉え直すための強力なフレームワークを提供します。現在のユーザー中心の視点に、長期的な未来探求の視点を加えることで、より広範な可能性を視野に入れ、変化に強く、持続可能なイノベーションの創出を目指すことが可能になります。
本稿で述べたように、共感、定義、創造、プロトタイピング、テストといったデザイン思考の各フェーズにフューチャー・デザインの手法や考え方を意図的に組み込むことで、未来の兆候からインサイトを得て、多様な未来シナリオを構想し、未来の課題を設定し、現在の枠に囚われないアイデアを発想し、未来を体験できるプロトタイプを作成し、そして未来の可能性について建設的な対話を行うことができます。
デザイン思考を実践するプロダクト開発マネージャーや新規事業担当者にとって、フューチャー・デザインは、既存の枠組みを超えた新しい事業機会を発見し、変化の激しい時代においても競争優位性を確立するための、実践的で示唆に富むアプローチとなるでしょう。不確実な未来への探求は容易ではありませんが、その探求こそが、真に革新的な新規事業を生み出す源泉となります。
さらに学ぶために
フューチャー・デザインや関連する手法(Speculative Design, Critical Design, Foresight, Scenario Planningなど)に関する専門書や、デザイン研究の論文などを参照することで、本稿で触れた概念や手法についてさらに深く学ぶことができます。また、具体的な実践事例やワークショップに参加することも、理解を深める上で有効な手段です。