新規事業開発におけるデザイン思考:事業ポートフォリオ全体の最適化へのアプローチ
はじめに
新規事業開発は、単一のプロダクトやサービスを生み出す活動に留まらず、企業全体の成長戦略、ひいては事業ポートフォリオの構築・最適化と密接に関わっています。多様な市場環境、技術の進化、顧客ニーズの変化に対応するため、企業は継続的に新たな事業機会を探求し、限られたリソースを効果的に配分する必要があります。
しかし、従来の事業ポートフォリオ戦略策定は、財務指標や市場規模といった定量的データに偏重しがちであり、潜在的な非連続的な変化や未知の顧客価値を見落とすリスクが指摘されています。このような課題に対し、顧客中心のアプローチを核とするデザイン思考が、事業ポートフォリオ全体の最適化というより上位の戦略レイヤーにおいて、新たな示唆と実践的な方法論を提供できる可能性が注目されています。
本稿では、デザイン思考を個別の新規事業の枠を超え、事業ポートフォリオ全体の戦略策定と最適化に応用するアプローチについて掘り下げます。デザイン思考の各フェーズが、どのようにポートフォリオ戦略の質を高め、不確実性の高い未来に対応可能な事業構造を構築し得るのか、具体的な視点を提供します。プロダクト開発部マネージャーをはじめとする、新規事業・プロダクト開発に携わる皆様が、より広範な視点から事業戦略に関与し、イノベーションを加速させるための一助となることを目指します。
事業ポートフォリオ戦略におけるデザイン思考の役割
事業ポートフォリオ戦略とは、企業が保有する複数の事業ユニットやプロダクトラインを、全体として最適なバランスになるように管理・調整する活動です。これには、新規事業への投資、既存事業の成長戦略、不採算事業からの撤退判断などが含まれます。目的は、企業全体のリスクとリターンのバランスを取りながら、持続的な成長と競争優位性を確保することにあります。
デザイン思考が事業ポートフォリオ戦略に貢献できる領域は多岐にわたります。
- 機会発見の深化: 個別の顧客ニーズだけでなく、未来の市場トレンド、社会課題、技術シーズといった広範な視点から、非連続的なイノベーション機会を発見します。これは、既存事業の延長線上にない、ポートフォリオ全体の多様性を高める新たな柱を見つける上で重要です。
- リスクの多角的な評価: 財務的リスクに加え、ユーザー受容性のリスク、技術的不確実性のリスク、倫理的・社会的リスクといった、より質的なリスク要因を早期に特定し、ポートフォリオ全体の脆弱性を評価します。
- シナリオ構築と柔軟性: 不確実性の高い未来に対する複数のシナリオを描き、それぞれのシナリオにおいて有効なポートフォリオ構成を検討します。これにより、変化への適応力を高め、戦略の柔軟性を確保します。
- ステークホルダー整合性の確保: 顧客、従業員、投資家、地域社会など、多様なステークホルダーの視点を取り入れ、ポートフォリオ戦略が彼らの期待や懸念とどのように整合するかを評価し、合意形成を図ります。
デザイン思考は、これらの活動に、ユーザー中心の視点、共感に基づく深い洞察、創造的な発想、そして仮説検証に基づく学習のアプローチをもたらします。
デザイン思考を用いた事業ポートフォリオ戦略策定・最適化のステップ
デザイン思考のプロセスは、事業ポートフォリオ戦略の策定・最適化においても有効なフレームワークとなり得ます。一般的なデザイン思考の5つのフェーズ(共感、定義、発想、プロトタイプ、テスト)を、ポートフォリオ戦略の文脈で再解釈し、適用するアプローチを考察します。
1. 共感(Empathize): エコシステム全体への深い理解
個別の顧客にとどまらず、事業を取り巻くエコシステム全体への共感と理解を深めます。
- 対象の拡張: 最終顧客だけでなく、サプライヤー、パートナー企業、競合、規制当局、投資家、さらには未来世代や環境といった、広範なステークホルダーを対象に含めます。
- 多角的なリサーチ: 定量的な市場データに加え、ステークホルダーへのインタビュー、エスノグラフィー、未来予測レポート、技術動向分析などを通じて、彼らのニーズ、課題、期待、そして潜在的なインサイトを収集します。
- 未来視点の導入: 単なる現状分析ではなく、今後5年、10年といった時間軸での変化の可能性、新たな技術や社会トレンドがエコシステムに与える影響を予測し、共感の対象を未来に広げます。
2. 定義(Define): 未来の課題と機会の明確化
収集したインサイトを統合し、企業が事業ポートフォリオ全体として取り組むべき「未来の課題」や「機会領域」を定義します。
- インサイトの統合: 個別の事業機会や顧客ニーズに関するインサイトを、より上位のレベルで統合し、社会全体の変化やテクノロジーの進化といったマクロな視点と結びつけます。
- 「How Might We...?」の問い直し: ポートフォリオ全体の目的(例: 持続的な成長、リスク分散、特定市場での優位性確立)を踏まえ、「私たちはどのようにして、未来の●●という課題を解決し、◇◇という機会を捉えることができるだろうか?」といった、ポートフォリオレベルでの問いを設定します。
- 未来シナリオの活用: 複数の異なる未来シナリオ(楽観的、悲観的、予測困難な変化など)に基づき、それぞれで定義されるべき課題や機会を明確にします。
3. 発想(Ideate): ポートフォリオ構成と新しい事業モデルの創出
定義された課題と機会に対し、ポートフォリオ全体として最適な事業構成や、新しい事業モデルを多角的に発想します。
- ポートフォリオ要素の発想: 個別の新規事業アイデアだけでなく、既存事業の変革、事業間の連携・シナジー創出のアイデア、リスクヘッジとなる新たな事業カテゴリーなど、ポートフォリオを構成する要素自体を発想します。
- 事業モデルキャンバスの拡張: 個別の事業モデルだけでなく、ポートフォリオ全体の価値提案、顧客セグメント(広義)、チャネル、収益構造、コスト構造などを俯瞰し、ポートフォリオ全体としてのビジネスモデルを構想します。
- 制約からの脱却: 財務的制約や既存組織構造といった現在の制約から一時的に離れ、理想的なポートフォリオ構成や大胆な事業モデル転換のアイデアを発想します。
4. プロトタイプ(Prototype): ポートフォリオ案の可視化とシミュレーション
発想されたポートフォリオ構成案や事業モデル案を、検証可能な形で可視化・シミュレーションします。
- ポートフォリオマップ/ロードマップ: 構想中のポートフォリオ案を、リスク・リターン、市場成長性、技術成熟度、組織能力といった軸でマッピングし、全体像を可視化します。時間軸を加えたロードマップも有効です。
- 財務モデリング+非財務要素: 従来の財務シミュレーションに加え、ユーザー受容性、技術的実現可能性、社会的な影響、組織的な受容性といった非財務要素を組み込んだシミュレーションモデルを構築します。
- シナリオベースのウォークスルー: 定義フェーズで設定した未来シナリオに基づき、それぞれのポートフォリオ案が各シナリオ下でどのように機能するか、影響をシミュレーションし、リスクや機会を洗い出します。
5. テスト(Test): ポートフォリオ案の検証とフィードバック収集
プロトタイプされたポートフォリオ案に対し、多様なステークホルダーからのフィードバックを収集し、検証を行います。
- ステークホルダーへの提示と対話: 経営層、事業部長、潜在的なパートナー、投資家、さらには有識者などに対し、ポートフォリオ案とその根拠(インサイト、シナリオ)を提示し、質問や懸念、改善提案を引き出します。
- 仮説検証の設計: ポートフォリオ案の重要な仮説(例: 「この市場は今後〇〇%成長する」「この技術は△△までに実用化される」)について、最小限の検証(市場調査、技術評価、専門家へのヒアリングなど)を実施し、仮説の妥当性を確認します。
- 継続的な学習と改善: テストで得られたフィードバックや検証結果に基づき、ポートフォリオ案を修正・改善します。これは一度きりの活動ではなく、市場や環境の変化に応じて継続的に行うプロセスです。
実践上の課題と成功へのポイント
事業ポートフォリオ戦略策定にデザイン思考を適用することは、いくつかの課題を伴いますが、克服することでその効果を最大化できます。
- 経営層の理解と巻き込み: デザイン思考の価値、特に定量化しにくい質的なインサイトや未来志向のアプローチに対する経営層の理解とコミットメントが不可欠です。ワークショップへの参加やアウトプットへのフィードバックを通じて、早期から巻き込むことが重要です。
- データ統合と分析: 定量的な財務・市場データと、定性的なインサイトや未来シナリオといった多様なデータを統合し、分析する能力が求められます。データサイエンスチームや戦略部門との連携が鍵となります。
- 組織横断的な連携: 事業ポートフォリオは企業全体に関わるため、各事業部門、研究開発部門、財務部門、マーケティング部門など、組織横断的なチーム編成と協働体制が必要です。デザイン思考のファシリテーションスキルが、部門間の壁を越えた協創を促進します。
- 長期視点と短期的な成果のバランス: ポートフォリオ戦略は長期的な視点が重要ですが、短期的な市場変化への対応や、既存事業とのバランスも考慮する必要があります。デザイン思考の反復的なアプローチは、長期的な目標を見据えつつ、現実的な一歩を進めるのに役立ちます。
- 不確実性への許容と学習文化: 未来の不確実性を受け入れ、完璧なポートフォリオ構成を一度に決めようとせず、仮説検証を通じて学習し、柔軟に戦略を修正していく文化が必要です。失敗を恐れずに学びとする姿勢が、デザイン思考の実践とポートフォリオの最適化を支えます。
結論
新規事業開発におけるデザイン思考は、個別のプロダクトやサービス開発に留まらず、企業全体の事業ポートフォリオ戦略という、より上位の経営課題に対しても有効なアプローチを提供します。エコシステム全体への深い共感、未来志向の課題定義、創造的なポートフォリオ構成の発想、そして仮説検証に基づく柔軟な戦略構築は、不確実性が高く変化の激しい現代において、持続的な成長とイノベーションを可能にする鍵となります。
事業開発に携わる皆様が、デザイン思考のレンズを通して自社の事業ポートフォリオを俯瞰し、顧客価値と企業価値の双方を最大化する戦略を描くための一歩を踏み出すことを期待します。ポートフォリオ戦略におけるデザイン思考の実践は容易ではありませんが、その潜在力は企業の未来を形作る上で計り知れない価値をもたらすでしょう。継続的な学習と実践を通じて、自社に最適なアプローチを模索してください。