新規事業開発におけるデザイン思考:リモート環境での実践手法と成功のポイント
はじめに
今日のビジネス環境において、新規事業開発は企業の持続的な成長に不可欠な要素となっています。特に近年、リモートワークの普及は働き方やチームのコラボレーションに大きな変化をもたらしており、新規事業開発の手法にも新たな適応が求められています。顧客中心のアプローチを重視するデザイン思考は、不確実性の高い新規事業開発において有効なフレームワークですが、対面での協働を前提とした手法をリモート環境でどのように実践するかは、多くのチームにとって課題となっています。
この記事では、リモート環境下で新規事業開発におけるデザイン思考を実践するための具体的な手法、各フェーズで直面しうる課題、そしてその課題を乗り越え、デザイン思考を成功に導くためのポイントについて解説します。プロダクト開発に携わるマネージャーの皆様が、変化する環境に適応し、効果的に新規事業を推進するための示唆を提供することを目指します。
リモート環境がデザイン思考の実践にもたらす影響
デザイン思考は、共感(Empathize)、定義(Define)、創造(Ideate)、プロトタイプ(Prototype)、テスト(Test)という5つのフェーズを通じて、ユーザーの深い理解に基づいたイノベーションを目指します。これらのフェーズでは、チームメンバー間の密接なコミュニケーション、非言語情報の共有、物理的なツールの活用、そしてユーザーとの対面でのインタラクションが重要な要素となることがあります。
リモート環境では、これらの要素に以下のような影響が生じます。
- コミュニケーションの質と量: 非言語情報(表情、ジェスチャーなど)の伝達が限定的になり、偶然の会話や立ち話といった非公式なコミュニケーションが減少します。意図的な設計なしには、情報伝達やアイデアの共有が断片的になる可能性があります。
- 協働ツールの制約: ホワイトボードを使った自由な発想や、物理的なプロトタイピングといった手法が難しくなります。オンラインホワイトボードやコラボレーションツールを活用する必要がありますが、ツールの機能やチームの習熟度によってその効果は左右されます。
- ユーザーとのインタラクション: ユーザーインタビューやテストをオンラインで行う場合、対面とは異なる配慮や工夫が必要です。ユーザーの置かれた環境や状況を完全に把握することが難しくなるケースがあります。
- チームのエンゲージメント維持: リモートでの長時間ワークショップは参加者の集中力を維持するのが難しい場合があります。また、心理的な距離が生まれやすく、チームの一体感や心理的安全性の確保に意識的な取り組みが求められます。
これらの課題を理解した上で、リモート環境に適したデザイン思考の実践方法を検討することが重要です。
リモート環境下でのデザイン思考各フェーズの実践手法
リモート環境においても、デザイン思考の各フェーズは基本的な目的は変わりません。重要なのは、オンラインツールやデジタル手法を効果的に活用し、チームメンバーやユーザーとのエンゲージメントを維持するための工夫を取り入れることです。
1. 共感(Empathize)フェーズ
ユーザーのニーズや課題を深く理解するためのフェーズです。リモート環境では、以下の手法が有効です。
- オンラインインタビュー: ビデオ会議ツール(Zoom, Teamsなど)を使用してユーザーへのインタビューを実施します。
- 実践のポイント: 事前にインタビューガイドを共有し、ツールの使い方や接続テストを入念に行います。非言語情報が伝わりにくいことを考慮し、意識的に質問を深掘りしたり、沈黙を恐れずにユーザーの発言を待ったりするなどの工夫が有効です。録画の同意を得て、後からチームで振り返ることも有効です。
- オンラインアンケート/ジャーナル: Google Forms, SurveyMonkeyなどのツールを用いた大規模なアンケート調査や、ユーザーに一定期間の行動や感情を記録してもらうオンラインジャーナル調査を行います。
- 実践のポイント: 定量的な情報だけでなく、自由記述式の設問を活用して定性的なインサイトを引き出すように設計します。
- リモート観察: ユーザーのオンラインでの行動(ウェブサイト利用状況、SNSでの発言など)を観察したり、同意を得て画面共有で特定のタスク実行状況を観察したりします。
- 実践のポイント: プライバシーに十分配慮し、観察目的と方法を明確にユーザーに説明します。
- 共感マップ/ペルソナのリモート作成: オンラインホワイトボードツール(Miro, Muralなど)を使用して、チームで収集した情報を共有し、共感マップやペルソナを作成します。
- 実践のポイント: 各メンバーが同時に編集できる機能を活用し、コメント機能や投票機能を使って議論を可視化します。
2. 定義(Define)フェーズ
共感フェーズで得られたインサイトを整理し、解決すべき真の課題を定義するフェーズです。
- インサイト共有ワークショップ: オンラインホワイトボードや共有ドキュメントを活用し、各メンバーが発見したインサイトやユーザーの課題を発表、共有します。
- 実践のポイント: インサイトを「ユーザーは〜と感じている」「〜に困っている」のように具体的な言葉で記述し、付箋機能などでオンラインホワイトボードに貼り出します。
- 課題の構造化/グルーピング: オンラインホワイトボード上で、集まったインサイトを類似性でグルーピングし、より上位の課題や隠されたニーズを探索します。アフィニティダイアグラム(親和図法)などをデジタルツール上で再現します。
- 実践のポイント: 参加者が自由に付箋を動かせる設定にし、なぜそのようにグルーピングしたかの理由を議論する時間を設けます。
- 問題提起(Point of View: PoV)の定義: ユーザー、ニーズ、インサイトを明確に記述したPoVステートメントをチームで作成します。共有ドキュメントやオンラインホワイトボード上で、繰り返しレビューと修正を行います。
- 実践のポイント: PoVがユーザー中心であり、行動喚起を促すものであるかを確認します。
3. 創造(Ideate)フェーズ
定義された課題に対する多様な解決策をチームで生み出すフェーズです。
- オンラインブレインストーミング: ビデオ会議ツールとオンラインホワイトボードを組み合わせてブレインストーミングを行います。
- 実践のポイント: ツールに慣れていないメンバーのために事前に簡単なチュートリアルを行います。「批判しない」「量より質」といったルールを明確に共有し、チャット機能を活用してアイデアをテキストで補足できるようにします。制限時間を設けて集中力を保ちます。
- KJ法/アイデアのグルーピング: オンラインホワイトボード上で、出されたアイデアをKJ法などを用いて整理・分類します。
- 実践のポイント: 参加者全員でアイデアを読み上げ、疑問点を解消しながら進めます。分類基準について議論し、共通理解を形成します。
- アイデアの評価と選定: 投票機能やコメント機能を使って、アイデアを評価します。実現可能性、魅力度、新規性などの基準を設定し、基準に沿って議論を深めます。
- 実践のポイント: なぜそのアイデアが良いと思うのか、具体的な理由を言語化し、共有するプロセスを重視します。
4. プロトタイプ(Prototype)フェーズ
アイデアを具体的な形にし、検証可能な状態にするフェーズです。
- デジタルプロトタイピング: Figma, Sketch, Adobe XD, InVisionなどのプロトタイピングツールを使用して、ウェブサイトやアプリケーションのUI/UXモックアップやインタラクティブなプロトタイプを作成します。
- 実践のポイント: 共有機能を活用してチーム内で頻繁にレビューを実施します。実際のユーザーフローを体験できるよう、クリックや操作の遷移をデザインします。
- ストーリーボード/ユーザーシナリオ: オンラインホワイトボードやプレゼンテーションツールを使用して、アイデアがユーザーにどのように価値を提供するのかをストーリーやシナリオで可視化します。
- 実践のポイント: ユーザーの視点に立ち、具体的な利用シーンや感情の変化を描写します。
- 簡易プロトタイプ(ローファイプロトタイプ): 紙や物理的な素材の代わりに、手書きのラフスケッチを写真に撮って共有したり、PowerPointやGoogle Slidesのスライドを使って簡易的な画面遷移を表現したりします。
- 実践のポイント: 高品質なものを作るのではなく、「検証したい仮説を最小限の労力で表現する」ことに注力します。
5. テスト(Test)フェーズ
作成したプロトタイプをユーザーに試してもらい、フィードバックを得るフェーズです。
- リモートユーザビリティテスト: ビデオ会議ツールの画面共有機能を利用して、ユーザーにプロトタイプを操作してもらい、その様子を観察します。
- 実践のポイント: 事前にテストタスクと質問リストを作成します。ユーザーが自然な状況で操作できるよう、過度な介入は控えます。ユーザーの思考プロセスを声に出してもらうよう依頼(Thinking Aloud法)すると、より深いインサイトが得られます。
- A/Bテスト/定量データ収集: デジタルプロトタイプや開発済みのプロダクトに対して、分析ツール(Google Analytics, Mixpanelなど)を用いてユーザーの行動データを収集します。
- 実践のポイント: 検証したい仮説に基づき、適切な指標(コンバージョン率、滞在時間など)を設定します。
- フィードバックのオンライン収集: プロトタイプの共有リンクとともにアンケートツールやコメント機能を提供し、非同期でフィードバックを収集します。
- 実践のポイント: 具体的なフィードバックが得られるように、誘導のないオープンエンドな質問を含めます。
リモート環境でのデザイン思考成功のためのポイント
リモート環境でデザイン思考を効果的に実践するためには、単にツールを導入するだけでなく、チームの運営方法やマインドセットにも配慮が必要です。
- 適切なツールの選定と習熟: オンラインホワイトボード、ビデオ会議、ドキュメント共有、プロトタイピングツールなど、目的に合ったツールを選定し、チーム全体が基本的な使い方に習熟することが不可欠です。ツールの連携性も考慮すると効率が向上します。
- ファシリテーションスキルの向上: リモートでのワークショップや会議では、対面以上に意識的なファシリテーションが求められます。議論の活性化、全員の発言機会の確保、時間管理、ツールの操作サポートなど、円滑な進行のためのスキルが重要になります。
- 非同期コミュニケーションの活用: 全ての活動をリアルタイムで行うのは困難です。共有ドキュメントでの情報の先行共有、オンラインホワイトボードでのアイデアの非同期投稿、チャットツールでの意見交換など、非同期コミュニケーションを効果的に活用することで、各自が自分のペースで貢献できる機会を増やします。
- 心理的安全性の確保: リモート環境では、発言することへのハードルが高まる場合があります。気軽にアイデアを共有したり、率直なフィードバックを行ったりできるような心理的に安全な場を意識的に創出することが重要です。アイスブレイクを取り入れたり、少人数でのブレイクアウトルームを活用したりするなどの工夫が考えられます。
- 明確なアウトプットと次のステップの共有: 各セッションやフェーズの終了時には、何が決定され、次に何をすべきかを明確にまとめて共有します。リモートでは情報のキャッチアップが難しくなりがちであるため、議事録やサマリーを迅速に共有することが重要です。
- 休憩と時間管理: オンラインでの長時間作業は疲労を招きやすいものです。適切な休憩時間を設定し、セッションの時間を対面よりも短く区切るなどの時間管理の工夫が必要です。
まとめ
リモート環境での新規事業開発においてデザイン思考を実践することは、いくつかの新たな課題を伴いますが、適切な手法とツールの活用、そしてチームの意識的な取り組みによって十分に可能です。共感、定義、創造、プロトタイプ、テストの各フェーズにおいて、オンラインツールを効果的に組み合わせ、非同期コミュニケーションを賢く活用することで、チームメンバー間の協働を促進し、ユーザー中心のアプローチを維持することができます。
成功の鍵は、単にデジタルツールを導入するだけでなく、リモート環境に最適化されたファシリテーションスキルを磨き、チーム全体の心理的安全性を高めることにあります。この記事で紹介した実践手法やポイントが、プロダクト開発に携わる皆様のリモート環境下での新規事業開発の一助となれば幸いです。