新規事業開発におけるデザイン思考:実践を阻む組織的障壁と克服のための実践戦略
はじめに
新規事業開発において、不確実性の高い環境下で顧客中心のアプローチを可能にするデザイン思考は、その有効性が広く認識されています。共感、問題定義、アイデア創出、プロトタイピング、テストといった一連のプロセスを通じて、潜在的なニーズの発見や革新的なソリューションの創出が期待されます。
しかしながら、デザイン思考を組織内で実践し、新規事業開発のプロセスに定着させることは容易ではありません。多くの組織では、デザイン思考の導入や展開の過程で様々な組織的な障壁に直面します。これらの障壁は、個人のスキルや知識不足だけでなく、既存の組織文化、評価制度、意思決定プロセス、部門間の連携構造などに根差していることが多く、デザイン思考のポテンシャルを十分に引き出せない要因となります。
本稿では、新規事業開発におけるデザイン思考の実践を阻む代表的な組織的障壁を構造的に捉え、それらを克服するための具体的な実践戦略について掘り下げて解説します。プロダクト開発に携わるマネージャーの皆様が、自組織におけるデザイン思考の実践レベルを向上させ、新規事業の成功確率を高めるための一助となる情報を提供いたします。
デザイン思考の実践を阻む主な組織的障壁
デザイン思考の実践において直面する組織的な障壁は多岐にわたりますが、ここでは特に頻繁に見られる代表的なものをいくつか挙げ、その特徴を説明します。
- 既存事業の成功体験と保守性: 既存の成功体験に基づいた思考様式やプロセスから脱却できない抵抗勢力。新しい試みに対するリスク回避傾向が強く、既存のやり方や価値観が優先されがちです。
- 短期的な成果への圧力: 四半期や半期といった短期的な業績評価に重点が置かれている組織では、時間を要するユーザー理解や試行錯誤、そして失敗から学ぶプロセスが評価されにくくなります。
- 部門間のサイロ化と連携不足: 部門間の壁が高く、情報共有や協力体制が不十分な場合、ユーザー視点の統合やクロスファンクショナルなチームでの共同作業が困難になります。共感フェーズでの多様な視点の収集や、アイデアの実装に向けた連携が滞ります。
- デザイン思考への誤解や知識不足: デザイン思考が表面的なツールや流行として捉えられたり、単なるデザイン部門の手法と誤解されたりしている場合、組織全体での共通理解や積極的な活用が進みません。実践的なスキルや経験の不足も障壁となります。
- リーダーシップの関与不足または理解不足: 経営層や部門リーダーがデザイン思考の重要性を十分に理解していなかったり、実践プロセスへの関与が限定的であったりする場合、必要なリソースの確保や組織文化の変革が進まず、活動が一時的なものに終わる可能性があります。
- 評価制度と報酬システム: 既存の評価制度が、デザイン思考が重視する学習や失敗からの示唆、長期的な視点での価値創造ではなく、短期的な売上や効率性のみを評価する場合、メンバーのモチベーションや行動が制約されます。
- 物理的・技術的な環境の制約: 共創のためのワークスペースや、プロトタイピング、ユーザーテストに必要な技術的なインフラが整っていない場合、実践的な活動が制限されます。
これらの障壁は単独で存在するだけでなく、相互に関連し合い、デザイン思考の定着をより困難にしています。
組織的障壁を克服するための実践戦略
上記のような組織的障壁を乗り越え、デザイン思考を新規事業開発の強力な推進力として活用するためには、戦略的かつ体系的なアプローチが必要です。以下に、それぞれの障壁に対応するための実践戦略を提案します。
1. 既存事業の成功体験と保守性への対応
- 共通言語と成功事例の共有: デザイン思考の概念やプロセスについて組織全体で共通の理解を醸成するためのワークショップや学習機会を提供します。他の業界や社内の小規模な成功事例(たとえ小さくても)を具体的に共有し、デザイン思考が既存事業の枠を超えた価値創造にいかに貢献するかを示します。
- 小規模なパイロット導入: 全社的な導入ではなく、特定の新規事業プロジェクトやチームに限定してデザイン思考を試験的に導入します。成功事例を積み重ねることで、懐疑的な層に対する説得力を高めます。
- 「なぜ」の明確化: なぜ今デザイン思考が必要なのか、VUCA時代の市場変化や顧客ニーズの変化と結びつけて、その必然性を組織全体に根気強く伝達します。
2. 短期的な成果への圧力への対応
- 評価指標の見直し: デザイン思考の実践プロセスや中間成果(例:新たな顧客インサイトの獲得、プロトタイプ検証からの学習量、チームの協創度合いなど)を評価する指標の導入を検討します。短期的な財務指標だけでなく、学習と探索の成果も評価対象とすることで、メンバーが安心してデザイン思考に取り組める環境を整備します。
- 早期のユーザーフィードバック共有: 早期のプロトタイピングやユーザーテストを通じて得られた顧客の肯定的な反応や具体的な示唆を、経営層や関係部門に迅速に共有します。これにより、活動の手応えや将来的な可能性を示し、短期的な成果が見えにくい初期段階での理解と支持を得ます。
- 中長期的なビジョンの共有: 新規事業が目指す中長期的なビジョンや社会的な価値を明確に共有し、短期的な成果だけでなく、より大きな目的への貢献としてデザイン思考の実践を位置づけます。
3. 部門間のサイロ化と連携不足への対応
- クロスファンクショナルチームの組成: 新規事業開発プロジェクトにおいて、企画、開発、マーケティング、営業など、関連する多様な部門からメンバーを集めたクロスファンクショナルチームを組成します。これにより、異なる視点や専門知識を統合し、ユーザー中心のアプローチを推進しやすくします。
- 共創ワークショップの実施: 部門横断でのデザイン思考ワークショップやアイデアソンを定期的に開催し、心理的安全性の高い環境で自由に意見交換し、共感と協力を促進します。共通の体験を通じて相互理解を深めます。
- 情報共有プラットフォームの構築: プロジェクトの進捗、ユーザーリサーチで得られたインサイト、プロトタイプの状況などを関係者全体がリアルタイムで共有できるプラットフォームや仕組みを導入します。
4. デザイン思考への誤解や知識不足への対応
- 実践的な研修プログラム: 知識提供だけでなく、実際のワークショップ形式でデザイン思考のプロセスを体験できる実践的な研修プログラムを提供します。各フェーズで使用するツールや技法だけでなく、その背後にある考え方や哲学を伝えます。
- 社内チャンピオンの育成: デザイン思考の実践に意欲的で、周囲を巻き込む力を持つ人材を「デザイン思考チャンピオン」として育成し、社内での普及活動や実践支援の核とします。
- 外部専門家の活用: 必要に応じて、デザイン思考のコンサルタントやファシリテーターといった外部専門家の知見や経験を借ります。外部の視点を取り入れることで、組織内の凝り固まった考え方を打破し、より効果的な実践を促進できます。
5. リーダーシップの関与不足または理解不足への対応
- 経営層への定期的な報告と対話: デザイン思考の活動状況、得られたインサイト、プロトタイプ検証の結果などを経営層に定期的に報告し、対話の機会を設けます。成功事例だけでなく、失敗から学んだ示唆も包み隠さず伝え、デザイン思考が「学習するプロセス」であることを理解してもらいます。
- リーダー自身の実践への参加: 経営層や部門リーダーが、デザイン思考のワークショップやユーザーインタビューに積極的に参加する姿勢を示すことが重要です。リーダー自身がロールモデルとなることで、組織全体にデザイン思考の重要性が伝わりやすくなります。
- デザイン思考を経営戦略と結びつける: デザイン思考がどのように企業の長期的な成長、顧客満足度向上、イノベーション文化醸成に貢献するのかを、具体的なデータや事例を用いて説明し、経営戦略の中に位置づける働きかけを行います。
6. 評価制度と報酬システムの見直し
- 評価項目の追加: 新規事業開発に携わるチームや個人の評価において、デザイン思考の実践度合いや、探索・学習・協創といった行動特性を評価項目に加えることを検討します。
- 失敗を許容する文化の醸成: 失敗を非難するのではなく、そこから何を学び、次にどう活かすかを重視する文化を醸成します。「Fail Fast, Learn Faster」(早く失敗し、より早く学ぶ)の考え方を奨励します。
- プロセス評価と成果評価のバランス: 最終的な事業成果だけでなく、そこに至るまでのプロセス(顧客理解の深さ、アイデアの多様性、プロトタイプ検証の質など)も適切に評価します。
7. 物理的・技術的な環境の制約への対応
- 共創スペースの整備: ポストイットやホワイトボード、デジタルツールなどを自由に活用できる、柔軟なレイアウト変更が可能な共創スペースを整備します。
- プロトタイピング環境の提供: 簡易的なモックアップ作成ツール、3Dプリンター、ソフトウェア開発環境など、アイデアを具現化するためのプロトタイピング環境を提供します。
- リモートツールの活用: リモート環境での共同作業やワークショップを支援するオンラインツール( Miro, Figma, Zoomなど)を導入し、物理的な制約を乗り越えるための技術的な基盤を整えます。
組織文化への浸透に向けて
デザイン思考の組織的な障壁を克服する取り組みは、単なる手法の導入に留まらず、組織文化そのものを変革するチェンジマネジメントの側面を持ちます。そのためには、以下の点が重要になります。
- 継続的な学習機会の提供: 一度きりの研修ではなく、定期的なワークショップ、勉強会、外部講師を招いた講演などを通じて、デザイン思考に関する知識やスキルを継続的にアップデートする機会を提供します。
- 成功事例の共有と称賛: 社内でのデザイン思考の実践を通じて生まれた小さな成功や、そこから得られた示唆を積極的に共有し、関与したチームや個人を称賛することで、前向きな機運を醸成します。
- 組織全体での対話の促進: デザイン思考のプロセスそのものや、直面している課題について、部門や階層を超えて率直に話し合える対話の機会を意図的に設けます。これにより、共通の課題認識と解決に向けた協力を促進します。
プロダクト開発マネージャーとしては、自チーム内でのデザイン思考の実践を深めるだけでなく、部門横断的な協力関係を構築し、上記で述べたような組織的な障壁に対して積極的に働きかけていく役割が求められます。経営層への適切な働きかけや、他部門との連携強化を通じて、組織全体としてのデザイン思考実践能力を高めることが、新規事業の成功確度を高める鍵となります。
結論
新規事業開発におけるデザイン思考の実践は、個々のスキルや手法の習得だけでなく、組織的な障壁を理解し、それを乗り越えるための戦略的な取り組みが不可欠です。既存の組織文化、評価制度、部門間の連携、リーダーシップのあり方といった要素が、デザイン思考の有効性を左右します。
本稿で述べたような、各障壁に対する具体的な実践戦略を実行することで、デザイン思考が組織内に根付き、新規事業開発における真の推進力となる可能性が高まります。これらの取り組みは一朝一夕に成し遂げられるものではありませんが、継続的な学習、組織全体での対話、そしてリーダーシップの積極的な関与を通じて、デザイン思考を活かせる組織文化を醸成していくことが、不確実な時代において持続的なイノベーションを生み出す礎となります。プロダクト開発マネージャーの皆様には、自組織の状況を分析し、本稿で述べた戦略を参考に、具体的なアクションプランを策定・実行されることを推奨いたします。